【古陶磁の逸話④:古田織部と備前焼】へうげもの・古田織部が、茶会で使った備前焼を徹底検証!桃山時代後期から慶長期の古備前焼と古田織部にまつわる逸話を古陶磁鑑定美術館が解説!
こんにちは、古備前研究・鑑定の古陶磁鑑定美術館です。
古陶磁鑑定美術館では、古備前焼を中心とした日本の古陶磁器の研究・調査・鑑定・評価・蒐集・保存・継承の事業を行っています。
みなさんは、『古美術品』という言葉を聞いた時に、どんなことをイメージしますか?
古い壺や掛け軸や茶道具などを大金で取引しているような風景を想像される方もいるでしょうし、美術館や博物館に陳列されている優雅な屏風や襖などをイメージされる方もいるでしょう。
それらの古美術品に共通することが、作品の『時代背景』です。
もちろん、作品によって、作られた時代や産地や用途が異なりますので、それぞれの時代背景は別々なものですが、どんなものであっても、『作られた当時』の景色を面影として残しているという点では、古美術品は同じと言えます。
そして、この「時代背景を愉しむ」ことこそ、古美術品の醍醐味であり、数寄の真髄なのです。
なぜなら、古美術品を通して「悠久の時間を超えて歴史の当時に思いを馳せられる」ことこそが、数寄者の最大の面白みであり、悦びだからです。
とは言え、それを言葉で説明してもイメージが湧きにくいかと思います。そのため、このコラムシリーズにて、古美術品が「現役」で使われていた時代の風景を紹介して参ります。
具体的には、主に「戦国時代(安土・桃山時代~江戸時代)」にかけての、茶の湯や茶会の記録や、大名や武将の逸話をベースに、当時の古陶磁や古備前焼についてのエピソードを解説します。
古美術品や骨董品に興味がある方は、ぜひこのコラムで、歴史の面影を感じてみましょう。
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今回ピックアップする逸話は、「古田織部と備前焼」です。
【コラム①:「豊臣秀吉と備前焼」を読んでいない方はこちら】
【コラム②:「千利休と備前焼」を読んでいない方はこちら】
【コラム③:「明智光秀と備前焼」を読んでいない方はこちら】
古田織部と言えば、「へうげもの」と称される、歪んだ焼き物を流行させた人物として有名です。
織田信長、豊臣秀吉の家臣であり、千利休の弟子でもあった大名茶人で、戦や武将としての戦績よりも、茶人や文化人としての実績の方が多く残っています。
織部は、1591年に千利休の切腹後、秀吉の茶頭の筆頭格にまで上り詰めました。
それ以降は、茶の湯の風習や茶道具の種類が、従来の利休好みからどんどん変化していきます。すなわち、志野焼・瀬戸焼・織部焼・唐津焼・高取焼・萩焼など・・・、次から次へと新しい焼き物の茶道具が登場したのです。
もちろん、その全てを織部が直接プロデュースした訳ではないでしょうが、当時の茶の湯の流行を引っ張るカリスマリーダーとして、意匠性や造形に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
今回は、そんな古田織部が茶会で使った「備前焼」をピックアップしてみました。
派手好みのイメージとは一転して、実は、織部も備前焼を愛した茶人の一人です。当時の織部と備前焼との関係性の真実に迫ってみましょう。
【建水】
1597年 9月 伏見 ヒセン水下
(自会記)
1599年 2月
1601年 7月
1601年12月
1602年 1月
1602年 5月
1603年 2月(3回)
1603年 4月(2回)
1603年 5月(2回)
1603年 6月(2回)
1603年 7月
1603年 8月(2回)※備前手付
1604年 2月 ※古備前物
【水指】
1599年 2月 伏見 備前水サシ
1604年 2月 伏見 備前水サシ
(自会記)
1599年10月
1600年12月
1601年 1月
1601年 7月
1603年 2月(2回)
1603年 5月(2回)
1603年 6月(2回)
1603年11月
1603年12月
1604年 2月(2回)
1604年 5月
1605年 9月
1605年10月
1606年 9月
1606年12月
【花入】
1599年10月 伏見 床、備前筒ニキク・ムメ入ル
1601年11月 伏見 大平ノ方ノ脇ニ窓アリテ、此窓ニ備前筒掛テ、ウメ・水仙花入
(自会記)
1601年 1月
1601年 7月(2回)※備前三角筒
1601年11月
1602年 1月
1603年 1月 ※備前筒
1603年 2月
1603年11月
1603年12月(2回)
1606年12月
【香合】
1601年11月 伏見 ※備前香合(茶会記上初の備前香合)
※自会記は、織部が亭主として開いた茶会の記録(それ以外は他会記)
織部は、創作茶道具を次々とプロデュースしたイメージが強く語られますが、実際の茶会記で古田織部の実態を検証してみると、その前段階では、従来ながらの茶道具である備前焼を重宝していた事実が浮かび上がってきます。
年代的には、1597年~1606年までの期間で備前焼を多用していることが分かります。建水は、利休時代からの流行でしたが、備前焼の「水指」と「花入」は、従来は余り多用されてこなかった器種のため、織部が積極的に取り入れたことで浸透した可能性が伺えます。
織部が好んだ意匠性は、「筒・三角筒」との表記からも見て取れるように、「筒型」や「三角形」の造形に特に惹かれていたことが分かります。
著名な伝来品では、「銘 太郎庵」や「三角花入」などが有名でしょう。
いわゆる、「織部好み・織部様式」と呼ばれている“歪んだ、箆目、うねり”の造形がこの期の代表的な作風です。
また織部は、備前焼の香合を茶会記上で初めて採用しています。
1610年頃以降は、有名な唐津焼や織部焼(美濃焼)や高取焼などの茶陶が出現したことで、徐々に備前焼の存在感は低下していってしまいますが、これらの記録からも、織部が、茶会にどんどん新しい風を吹かせていたことが良く伝わってきますね。
※古田織部の茶会記は、備前焼以外の焼き物でも注目すべき点が多くありますので、別テーマのコラムにて改めて特集してご紹介します。
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このような「時代背景」を知っていると、当時の大名や武将を身近に感じたり、歴史の遺物(伝来品)に愛着を感じたりできるようになります。
そんな、安土・桃山時代~江戸時代にかけての備前焼を通じて、古田織部が生きた戦国時代に思いを馳せて見ませんか?
古陶磁鑑定美術館のホームページでは、書籍「古備前焼の年代鑑定」の出版記念展覧会として、古田織部が生きた安土・桃山時代から江戸時代にかけての古備前焼の名品を、オンラインで特別に公開中です。
戦国時代の茶人や大名は、一体どんな備前焼茶道具を使って、茶の湯を行っていたのか?
その答えを、実際の「伝来品」を通じてみることができます。
ぜひ、ホームページをご覧ください。また、書籍「古備前焼の年代鑑定」を宜しくお願い致します。
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