2024年 23 空海と隠れキリシタン
ここから西は海しかなく越えた先に大陸がある。
50代はじめに閑職に追いやられ
その時から忙しくて出来なかった旅行をはじめた。
なぜか分からないが振り返ると
空海と縁のあるところを見てきている。
空海は槙尾山施福寺で出家したと言われている。
泉北線の終点和泉中央駅からオレンジバスに乗り継ぎ槙尾山施福寺に行った。初め緩やかな階段が登るに連れ勾配が急になる。施福寺に着いた時は息を整えてからお参りした。
次に蔵岩に登り空海も観たであろう風景を見た。この蔵岩は今立ち入り禁止となっている。
空海所縁の観心寺には平将門が信仰したとされる妙見信仰のような北斗七星に因んだ七つの星塚が金堂を取り囲むように配置され巡った。
東寺では立体曼陀羅を見学した。
高野山では宿坊一乗院に泊まり夕食後奥の院を参拝した。杉の巨木が参道を覆い供養塔が立ち並ぶ暗い森の中で灯籠に照らされた参道だけが白く奥の院に続いている。前後に誰もいない、時々誰かいないか振り返っても誰もいない、夫婦二人で奥の院を目指した。
奥の院に着いた時はホッとした。
宿坊では早朝の勤行に参加して般若心経を宿泊客皆んなで唱和した。
八栗寺が空海所縁とは知らなかった。イサムノグチ庭園美術館を見る積もりだったのが予約がないと入れないと知り予定を替えてうどん本陣山田屋で食事をした。お店から歩いていける距離に八栗寺があったのでケーブルカーに乗って行ってきただけだ。
この島にも空海の足跡があるのを知った。
ここから比叡山延暦寺を創建した最澄と共に
大陸へ渡った、遣唐使として。
向こうの島との間を遣唐使船は通り過ぎたという。
空海はみみらくで、
最澄は田ノ浦で
大陸へ吹く風待ちをしていたという。
偏西風で風は西へ吹く。
大陸へは東風が吹く必要があった。
此処から西は日本ではない。
2023年4月初めて福江島に来た時、定休日でもないのに予定していた食堂が臨時休業の貼り紙があり、
道の駅の食堂では給仕が休みで
客の対応に追われていたり、
ホテルからメールで夕食は休むと連絡あったりと、
私が福江島に行った日は復活祭イースターだった。
私が知らないだけで福江島では
常識だったのかもしれない。
そんな五島の海は綺麗だ。そんな五島に夫婦で一緒に来たいと思い8月に再び訪れた。
福江島は日本の西の果てにある。
戦地に赴く兵隊が最後に見た日本だ。
大瀬崎を見て日本に別れを告げたそうだ。
福江島で五島うどんを食べた。
前回とても美味しかったからだ。
堂崎天主堂を見た。今では想像も出来ない迫害の歴史だ。
福江島は五島リトリートに泊まった。
翌日は上五島に移動した。
桐教会前の海は透明度が高く吸い込まれそうだ。
上五島は見るべき教会が多い。
世界遺産の頭ヶ島天主堂も上五島にある。
ガイドの人が祖先が入信して自分で23代目、
子供も洗礼を受けさせたので24代目、
と言っていたのが印象的だった。
仲知教会の目を見張るような綺麗なステンドグラスを見た。在住の方の寄進によるステンドグラスだそうだ。
五島は美しい海と教会群が観光の中心になる。
大浦天主堂は隠れキリシタンだった人を表に出した始まりの地だ。長崎にある大浦天主堂と共に五島の教会群を見て歩くと理解が深まると思う。