ウィンナーコーヒーの上位互換
5月27日 豪雨のち晴れ
私が見つけたとっておきの喫茶店をおすすめしよう。
喫茶店のいろんな人に間接的に関われるところが好きだ。
昨今のカフェやファミリーレストランなどとは違う距離感、言葉遣いで、それらより少しばかり近い関係をつくりだす。
そしてこちらのパーナルスペースにちょこんと触れてくる。踏み入ってくる訳でもないそれには、さわさわと音を立てて揺れ、光が混ざって溶け合う木漏れ日を見ているような心地良さがある。
つい先日、ちょうど時間を余らせていた時にふらりと立ち寄った喫茶店。
喫茶店の名前は「珈瑠で」。
神楽坂にある「楽山」というお茶屋さんに夏用のお茶を買いに行ったついでに寄った。
「楽山」もとても良いお店だ。神楽坂に行く機会があったらぜひ立ち寄ってみて欲しい。
神楽坂の通りを歩いていると、ふわりとお茶の香りが風に乗ってくる。その香ばしい香りにつられて店内に入ると、暖かい緑茶を出してくれ、「座ってゆっくりしていってくださいね、」と親切に勧めてくれた。
頂いた緑茶を片手に座り、店内に陳列されたお茶を眺めながら一息つくのが、楽山に行く楽しみとなっている。
夏におすすめのものを聞くと、簡単に作れる水出しのものを勧めてくれた。今回は水出しの「蜜りんごのむぎ茶」というのを買ってみた。まだ本格的な夏ではないけれど、試しに1杯作ってみようか。どんな味がするのか楽しみだ。
話が少し脱線してしまった。本題の喫茶店紹介に戻ろう。
喫茶店「珈瑠で」は、神楽坂の大通りからすこし外れた場所にあるお店だ。
休日は人通りの多い神楽坂だが、ひとつ道をはずれると、ガラッと静かになる。大通りの喧騒がどこか違う次元のように離れていき、ゆったりとした時間の中に連れ出される。
人混みに疲れた私はこの辺りでカフェを探そうと散策をはじめた。
マップアプリで調べてしまえば楽なのだが、カフェや喫茶店、雑貨屋などは自分で見つけることこそ魅力があり、見つけた時の喜びが大きいように思う。
尤も、最近は暑さに耐えきれず素早く避暑地を探してしまうのが癖なのだけれど。
今日はすこし気温に余裕を感じたので自分で探すことにしてみた。
歩いていると、だんだんと蒸し暑くなってきた。
ちょうど1軒の喫茶店を見つけた。外には小さな看板が出ており、「ほっといっぷく」と書かれている。外からはあまり中の様子が見えなかったが、スカートの中の熱気に耐えきれなくなっていた私は素早く店内に駆け込んだ。
店に入ると年配の女性が出迎えてくれた。
「おふたりですか?」
今日は一人で来たはずだ。後ろを振り向くと背の高い男性が立っていた。
「あっ、一人です。」
慌てて訂正する。男性との間に微妙な気まずさを感じ、軽く会釈をする。
「あら、失礼しました。お好きな席へどうぞ〜」
ゆったりとした柔らかい声色にこちらも気分が和らぐ。空いていた2人席に座ると、ちょうど先程の男性は向かい側のテーブルに座り、向き合うかたちになったのでまた少し気まずくなる。
冷たい水と共にメニューが出される。そう言えば看板に小さく「珈琲専科」と書かれていた気がする。せっかくなら珈琲を飲んでみようか。
メニューの中に珈琲は10種類ほどあり、どれにしようか悩む。最近になって少しづつ飲めるようになってきたが、苦味の強いもの、酸味のあるものは苦手だ。できるだけマイルドな味のものを選びたい。
「すみません、この、チョコレートコーヒーって甘いんですか?できるだけ苦くないものが良くて…」
チョコレートコーヒーと書いてあるのだから、コーヒーの中でもだいぶ甘い部類なのだろう。心配なので一応確認をとる。チャレンジすることに対しては慎重なのだ。
「苦いの苦手ならこれがおすすめですよ〜」
「じゃあ、これをお願いします」
チョコレートコーヒーを注文し、メニューを渡す。鞄の中からいつも持ち歩いているノートブックとボールペンを取り出した。
向かい側に座ったお兄さんはスパゲッティとコーヒーを頼んだようだ。注文をすると本を取りだし、もう既に本の中に入り込んでいる。
私とお兄さんの注文がマスターと呼ばれる人に伝わると、しばらくしてコーヒー豆を挽く音が聞こえてくる。
店内の席数は8席ほど。店内には6組ほどの客がおり、程よく席が埋まっている。男性客が多いようだ。
1番窓側にいる席のおじいさんが隣の席の若い女性にお菓子の箱を渡している。「いつもありがとうございます〜」どうやら知り合いのようだ。楽しそうに雑談をしている。
しばらくすると、
「じゃ、また来月」
と言っておじいさんは店を出ていった。
「はいはい、気を付けてくださいね」
と、女性の店員さん。常にニコニコと楽しそうにしている。素敵な人だ。
おじいさんと入れ替わりのように若いサラリーマンの男性が入ってきた。
「あら〜久しぶり!ここのところ来てなかったわよね、ちょっと痩せた?」
またもや常連さんのようだ。喫茶店のこの、雑談までが仕事の一部である感じ。温かみがあり、居心地が良い。
「いや〜、ここんところ忙しくて。アイスコーヒーお願いします、」
サラリーマンは私の真後ろの席に座り、水をごくごくと飲んでいる。暑い中お仕事お疲れ様です、と心の中でエールを送っていると
「はいお待たせしました〜」
と、チョコレートコーヒーが私の前に置かれた。
シンプルな形ながらもレトロな雰囲気のカップとソーサーが可愛らしい。せっかくだから写真を取っておこう。
ティースプーンにはハート型のチョコレートが乗っており、カウンターの向こうからマスターが
「それと一緒に飲むと苦くないよ」
と、すこしぶっきらぼうに声をかけてくれた。
細かな気遣いに心がポカポカと温かくなる。
コーヒーの上にホイップクリームが乗っており、砂糖を入れなくても飲めそうだ。
口をつけ、ホイップクリームとコーヒーを口の中に流し込む。口の中で甘みと苦味が程よく混ざり合いちょうど良い。
「飲めた?苦くない?」
と、マスター。
やはりぶっきらぼうな口調だけれど、よく見てくれている。優しい。
「はい、大丈夫です。美味しいです。」
マスターの優しさとチョコレートコーヒーの美味しさについ口角が上がる。幸せの余韻を感じていると、先程の目の前のお兄さんの元にスパゲッティが届けられる。
スパゲッティを前に本から目を上げたお兄さん、目を輝かせてものすごく嬉しそうにしている。さっきの私もこんな感じの顔をしていたのだろう。
私がぼんやりと外を眺めている間に、お兄さんはスパゲッティをペロリと食べてしまった。
「足りる?お腹いっぱいになった?美味しいパン焼いてあげるよ、」
とマスターが声をかける。マスター、とても面倒見が良くて親切な人だ。マスターへの好感度がぐんぐんと上がっていく。
お兄さんも私も、マスターの親切さに思わずニマニマしている。
マスター観察に夢中になりすぎて、ノートが真っ白だ。課題を少しでも進めようと思っていたのに。慌ててペンを走らせる。高校の国語の授業で大学はモラトリアムなんて話が出て、当時の私は楽できる時期だなんて勘違いをしてたけど、そんなことは無いと最近思い知った。
今日までに提出のレポートはどれだっけ、とメモアプリを開いてると、
「ご馳走様でした、」
と、先程のサラリーマンがバタバタと慌てて店を出ていった。会社の休み時間に来ていたのだろうか。
サラリーマンを皮切りに、男性客たちがお会計を済ませていく。客数が減り、店内は先程より静かになった。先程はあまり聞こえなかった店内BGMがよく聞こえる。曲名は思い出せないけどどこかで聞いたことがある曲が流れ、穏やかな空気が店を包み込む。
マスターがカウンターから出てきて、お兄さんにパンを出す。そわそわとパンを待っていたお兄さんは出されたパンをもペロリと平らげた。
「おなかいっぱいになった?」
「はい!ありがとうございます。」
スパゲッティとパンを食べたお兄さんは元気100倍!という感じでハキハキと答えている。店に入ってきた時は大人しそうで無表情な人だと思っていたが、今ではまったくの別人のように表情が明るい。きっとこの店の優しい空気に触れて、心が温まったのだろう。私もです。
お兄さんは、コーヒーが出されるとまた本の世界へと潜って行った。どんな本を読んでいるんだろう。
いけない、またお兄さんに気を取られていた。と、慌ててノートに目を移す。静か過ぎず、騒がしすぎないこの時間の店内。この雰囲気なら作業が捗りそうだ。改めてペンを持ち直し、ノートを埋めていく。
集中力が切れてふと顔を上げる先程より客数が減り、店内には私とお兄さんだけになっていた。お兄さんもちょうど立ち上がってお会計をお願いしている。
スマートフォンが小さく振動する。
先程、撮った写真をインスタグラムのストーリーにアップしていたのだが、それを見た友人から
「ちょうど近くにいるんだけど御一緒していいですか?」
と来ていた。どうやら友人もこの店を知っているらしく、チョコレートコーヒーを飲んでいることを伝えると、
「そこの店のウィンナーコーヒーは神楽坂の金字塔!絶対に飲まなくちゃ!」
と返信が来た。そう勧められては飲みたくなってしまうでは無いか。
ちまちまと飲んでいたコーヒーはもうすぐカップの底とご対面、といった感じだ。
「すみません、コーヒーをもう一杯貰えますか。今度はウィンナーコーヒーをお願いします。」
マスターがこちらをチラッと見る。飲めるのか心配してくれているのだろう。大丈夫です、苦かったらお砂糖を入れて甘くしますよ。と、アイコンタクトを送る。伝わっているかは分からないけど。
しばらくすると友人が店に入ってきて、向かいの椅子に腰を下ろす。
「久しぶり。外どう?」
「めちゃくちゃ暑いよ。午前中は大雨だったのに。チョコレートコーヒーどうだった?」
「めっちゃ美味しかったよ」
「まじか〜、飲んだことないけど頼んでみようかな、」
美味しいものを食べるとニヤニヤしてしまう私。先ほどのチョコレートコーヒーの味を思い出すと口角が上がる。私のニヤニヤが友人にも伝染して、2人してニヤニヤする。
「すみません、チョコレートコーヒーひとつ。」
「そっちにするんかーい、てっきりウィンナーコーヒーにするのかと。」
どうやら友人はチョコレートコーヒーにチャレンジするようだ。
「そういえばさ、私冷めたコーヒーにザラメ入れてザラザラ味わいながら飲むの好きなんだよね。分かる?」
「分かりたくないけど分かってしまう…、悔しいっ!」
雑談が始まる。久しぶりに会ったので、お互い話題が尽きない。喫茶店に一人で行くのも好きだけど、友達と話すのもやっぱり楽しいなぁ、と感じる。
話題は様々で、ザラメから始まり、映画、音楽の話へと移っていく。
途中で私のウィンナーコーヒーが届き、どちらも美味しくて甲乙付け難いと意見した。
私のおすすめの映画について話し始めた所で彼の分のチョコレートコーヒーが出てきた。
「うわっ、これは美味しい…!」
「でしょ、」
「たしかにこれはどちらも選べない…。ウィンナーコーヒーの上位互換って感じ。あ、甘さに関してね。」
「わかる。どっちもそれぞれ良さがあるよね。」
上位互換って。コーヒーについて話す時に上位互換だなんて言葉、なかなか使わないだろう。
チョコレートコーヒーに比べて苦味のあるウィンナーコーヒーにすこしザラメをいれてクルクルとかき混ぜる。
私から彼におすすめした映画は「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」だ。アル・パチーノの演技が良いのはもちろんのこと、ファッション、色使い、そしてタンゴのシーンの良さを熱弁した。
彼のオススメしてくれた映画はどれも、最近父が勧めてくれたものばかりで、父の面影を感じてしまい面白かった。男のロマンってやつでもあるのだろうか。
映画の話に続いて、彼が持っている本「植物図鑑」に話が移る。植物図鑑は私も以前読んだ。たくさんの植物を日常的に見ることはあったけど、それぞれの名前、食べれるか、なんて意識したことがなかった私にとっては新しい発見が沢山あり、とても得ることが多かった。あれを読んでからしばらくは、植物博士ぶったりしたな、などと思い出に浸る。
彼から、芥川龍之介の「煙草と悪魔」という本をオススメされた。どんな内容なのか聞くと、どうやら内容というより、本の作りに面白さがあるらしい。なんとページとページがくっついていると言うのだ。そのくっついているページとページの間をカッターなんかで開くと読めるらしいのだが、昔はページがくっついている方が価値があったらしい。
「まぁロマンですよ、」
と彼が言う。まったく分からない訳じゃないけれど、私だったら読んでしまうと思う。
つまるところ、彼らは、
この中には文章が書かれているかもしれないし、書かれてないかもしれない、何が書かれているかも分からない。
ということに考えをめぐらせ、中身を想像することに楽しみを見出していたのだろう。
シュレディンガーの猫について考える面白さと共通するものがあるかもしれない、と思った。
ふと、スマートフォンの時計を見ると2時間以上が経っていた。
そうだ、この後は予定が入っているんだった。
外のから隔絶されて作り出された、ここ独自の時間から一気に現実に引き戻される。
「ご馳走様でした。とっても美味しかったです、また来ます。」
と伝えて店を後にする。私たちが店を出る頃、店はまたすこし混み始め、昼間と違う空気が店に流れていた。
次はもう少し遅い時間に行ってみよう。
今回の店は確実に行きつけになるだろう。私が常連さんの一人に仲間入りするのも、そう遠くない未来の話だ。
店のドアを開けるとあの女性が
「あら久しぶり〜」
と声をかけてくれることを考えると、楽しみでしかたがない。
帰り際、友人におすすめの喫茶店をいくつか教えてもらったので、またいつかその店に関して書けたらと思う。
ちなみにお店の名前は「かるで」と読むそうで、それをノートにメモしていると友人に軽く笑われた。
分からないから仕方ないじゃん、というとお互いのメモ癖の話が始まった。
喫茶店もまた、会話を回してくれる役割があるのかもしれない。
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