HSPと死生観
こんにちは。個性収集・研究家のおかゆです。
HSS型HSPを自認しています。
深く感じ、深く考える。
よく、洞察がすごい、と言われます。
以下、2024年9月12日。祖父が亡くなった当日にかいた記事です。
振り返ると感情が溢れかえっているのですが、こういう時ほど心の内側にある濃い部分がでてくると思っていて、ここに残していこうと思います。
誰かとの別れに整理がつかない人
死と真剣に向き合いたい人
そんな人にとっての、癒しになりますように。
2024.9.12(水)
今回は、祖父が他界したことに伴い「死とは何か」の整理がつかず、書く瞑想的に、自分の感じていることを出していこうと思います。
noteではなく自分用の日記にしても良かったのですが、祖父がまだ亡くなる前の状態の時に
「私は死とどう向き合えばいいのだろう」
と心が揺れていて、
「多くの人が死と向き合って心が揺れるのだろうけど、HSPの人はきっと様々に逡巡するのだろう。であれば、HSPの人の死生観が知りたい」
と思って検索していた、という経緯があります。
検索してもあまりヒットしなかったので、私はHSP代表というわけではありませんが、一個人のエピソードとして、現在の私と同じようなことに向き合われている方にとっての癒しになる一助になれればと思います。
HSPという人が、これだけのことを考えているのだ、ということも、非HSPの方に伝わったら嬉しいです。
※独白調で、わかりにくい表現になるかもしれませんが、ここに置いていきます。ご容赦ください。
最後の面会
「おじいちゃんの血圧が下がっている」
という連絡が母からきた。
この時は、なにか危ない状態なのだとは理解しつつ「血圧が下がっている」という状態が、生命活動にどのように影響しているのか頭で繋がらなかった。大学で生物を専攻していたわりに、現実になると脳は理解を拒否するらしい。明日を迎えられないかも、という言葉まで聞いて、やっとつながった。
もろもろの仕事を巻き上げて、急遽病院に、面会にいった。おじいちゃんの心臓はまだ、動いていた。目は開かない。眠っているのか、意識があるのか、少し苦しそうに見える呼吸をしている。
酸素マスクと思しきものをつけており、呼吸の形跡がよくわかる。血圧を計測する機械が、小さなエラー音のような脈動を発している。"医療"を感じる空間だ。
体を揺らすのはよくないけれど、手を握ったりさすったりするのは大丈夫だったので、何十年ぶりだろうか、おじいちゃんの手を握った。
おじいちゃんの手は、少し、冷たかった。
体をさすったり、話しかけたりしていた。
意識はなくても、ここに私や家族がいて、話しかけることに意味があるような気がした。
握った手から、私の体温を分けるつもりで、その場にただいた。
人類は社会的な生き物であり、繋がりというものが生きる力になるのではないかと、個人的には思っている。身体と精神は繋がって生命は成り立っている。身体に働きかけることが、少しでも力になれば、と。
あまり、話すのが得意ではないので、話しかけるよりも、ただ手を握って体をさすることで、自分の存在を示していた。
と声をかけた。
おじいちゃんは目を瞑ったままだったけれど、なんとなく、「まだまだだろう?」と思っている気がして
と付け加えた。
またね、と声をかけて病室を出た。
誰の為に生きるのか
"医療"を感じる空間の中で、受け取けた刺激。
あの時、おじいちゃんの心臓は動いていた。
呼吸もしていた。
もしかしたら、意識もあったかもしれない。
下がった血圧をあげるために、薬で調整をしていてくれたそうだ。
このおかげで、私はまだ「生きている」おじいちゃんに会うことができた。
けれど、呼吸は苦しそうに見えた。
自力では生命維持が難しい身体を、心臓を、薬で永らえさせているとしたら、おじいちゃんは辛かったのだろうか。
医療処置に苦言を呈しているわけでも、否定しているわけでもない。
ただ起きていたことに対して、あの医療機器が広がる空間で、私は「生命とはなにか」ということを問わざるを得なかった。
科学によって伸びた寿命で、我々はなにを得て、もしかしたら何かを失ったのか。
医療は人の生命を救う、生きている人のためのものだ。
患者が生きていることで救われる人はたくさんいる。
生きるとは、「他者のための行為」なのだろうか。
自分の為に生きるのか、他者の為に生きるのか。
翌朝、なんだか早く目覚めてしまい、うとうと布団の中で、おじいちゃんの思い出を辿っていた。
昨年は一緒に和菓子を食べた記憶がある。高齢ながらも、食事をとれていた。
今はもう、食べることができず、点滴で栄養を得ているということだった。
生きるとは、食べることなのか。
食べることは分かち合うことでもあって、誰かと共に食事することそれ自体も、喜びなのだろうな…。
うとうと考えていたら、記憶が鮮明に蘇って、涙が出てきた。
それから数時間後、祖父の他界の一報が入った。
また、涙が出た。
しばらく動かず思い出を辿り、感情の海に浸かっていた。
どこかに行きたい。
どこにいけば、おじいちゃんに会えるのだろう。
体がある病院?
住んでいた家?
おばあちゃんが納骨されたお墓?
思い出の場所は…
ぐるぐると脳内を駆け巡る。
思い出の場所は、やはりお家で、けれど今はそこにいない。
今じゃない気がした。
そのまま素早く身支度し、家を飛び出して旅立ちそうな勢いだったが、葬儀に備えて体力温存することにした。それゆえに今、この文章を書いている。
生命と人間とはなにか
今もティッシュとハンカチを横において、この文章を書いている。
人は悲しいと涙が出てくるらしい。
人はなぜ、他者の死を悲しむのか?
6月に祖母が亡くなった時にも考えていた。
死を手放しに喜ぶ文化というのは、地球上で少ない気はするが、日本は比較的「悲しみ」に近いニュアンスで法事を行うイメージがある。
もう少し、明るく見送るような文化もどこかであったような気がする。
「死」は穢れとされる。
なぜ穢れなのだろうか。引っ張られるとでもいうのだろうか。
朝、他界の連絡をうけてからも、ぼーっと考えていた。
生とは何か?死とは何か?
これらの「生」と「死」を分断して考えるから、物事が難しくなるのではないか。
人は生まれた瞬間から老いが始まる。成長の一面もあるが、ずっと老いているのである。細胞分裂の限界、心臓が動く限り生命活動を行う、それが生命だ。では、死を迎えたら、それは生命ではなくなるのか?科学的に「死亡診断」がされたら、それは生命ではないのか。
どこまでが生命で、どこからが別の存在になるのか。
生命、生命体。未確認生命体。動く、生きているものは生命体。
これは、外側から観測できることだ。客観的観測。
では、生命を失えば、それは確かに生命体ではなくなるのかもしれない。
それでは、人間とはなにか?
生命体でなくなっても、ご遺体も、人間であることには変わりないと、私は思う。それは、そのご遺体を観測する他者が存在すればこそいえることだ。
「この人は生きていた」「この人は人間である」と認識する他者がいるから、私たちは生きている時も、亡くなった時も、人間でいられる。
極端な話、火葬されて骨になったとしても、人間の一部であることには変わりはない。体積はずいぶん、小さくなってしまうが。
そう考えると、生命は有限であるが、人間という個体の存在は無限なのではないか、と思えてきた。
写真に、物に、何よりも人の記憶に、その人の「存在」は残っている。
私の中に、祖母や祖父の記憶は今でも鮮明に残っている。
生きるということは、受け継ぐことだと、私は考えている。
生物自体が、種の繫栄や生き残りをかけて生きているのだ。
だから、今の世代が環境適応して、次の世代に危険なことや生き残りの確率が高いことを伝えていく。次の世代も次にそうして伝えていく。親子のみとは限らない、ある地域で、学校で、会社で。経験のある人から、経験が浅い人に向けて、さまざまな「記憶」が伝えられていく。
生命というのは「生きる本」だなと、思ったことがある。
あるいは「生きた物語」。
その人が死を迎えると「○○の物語」へと昇華されるのである。
その人の記憶に、知識に、行動に、発言に、色んなことが詰まっている。伝えられていく。それは記録装置のようでもありながら、物語は可変なのである。だから「生きた物語」である。
死を迎えるとその人の物語は終わるが、なにかの形に残されて、後世は教訓や信念として受け継いでいくのである。物語は、紡がれる。そして、物語は一部完結ではなく、また次の人の章に繋がるのである。
人間の物語は、断絶されたひとつの世界観ではなく、横に、あるいは輪に、スピンオフ、あるいはパラレルワールドのように繋がっていると感じている。同じ言葉を、近しい概念を、別の物語でも語られる、大切なことは何世代たっても変わらず根底にある。文化や技術の発展は目まぐるしいが、生き物としての根源は数万年たっても変わらないのだと思う。
「生」と「死」は分断するものではなく、繋がっているものであり、人間という"存在"は半永久的であると、感じた。
死が切り離されている
今回実感したのは、「病院」は日常から切り離された異空間のように感じて。医療はある種の魔法のようにも思えた。(科学だが)
以前、養老孟子さんの書籍「自分は死なないと思っているヒトへ」を読んだ際に、死が隔離されている、という表現を見た記憶がある。
昔は自宅で看取ったものだが、近頃は高齢になると介護施設や病院に入って、死に近付くこと、死ということが見えにくくなっているのではないか、と。
(養老先生はもっと意味を込めていたと思うので、ライトな解釈ではある)
日常生活では、死を実感することは少ない。有名人の訃報や、物語の中での"死"は触れることがある。現実世界、物語であっても、自分が深く応援していた、想っていた相手であれば、その悲しみは深いと思う。だが、実際にどんな過程を経て死を迎えたのか、リアルな部分は見えづらいだろう。
身近な人の老いや介護、看取りを実体験することによって、やっと「死」に直面する。その時になって考える。
「自分はどのように死を迎えるのだろう?」ということも。
それでも世界は忙しなく動いている。
ゆっくりと、死者との別れを惜しむ間もないように感じてしまう。
幸い自分は、個人事業主で、いつでも動ける状態になっていたので、家族が困っている時、なにかあった時に駆け付けられる、ということはかなっている。
祖母や祖父と「生者の世界」の中でも別れをしようと思う。
生者と死者という、同じ"人間"の中でもこのようにわける…という表現は、なんだか救われるような思いもあった。
支離滅裂なところもあったが、私にとって生きるとは、こういうことで。死は終わりではなく、生と繋がっていること。死の反対は生かというと、そんな気もするけれど、それ以外もあるような気がした。
まだ、気持ちの整理がついていない。
おじいちゃん、苦しまず、生を終えられていたらよかった、と思う。
もう少し先だけれど、おばあちゃんと会えますように。
それじゃあ、また。
私はまだまだこれからだし、もう少し、生きるよ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この世界の中でも、私たちは深い感受性を持ちながら、繋がっていきましょう。
またどこかで。