
5月13日「他人には他人のストイックマン」
お題:禍福は糾える縄の如し、門前の小僧習わぬ経を読む、一葉落ちて天下の秋を知る
2021年5月13日の日記。
睡眠負債が貯まっている。日記を書き始めたせいだ。原因がわかってんなら文句垂れず早よ眠れと自分が一番思う。初日はあんなに生き生きと書いていたのに、日が経つにつれてたった数行日記を書くことがこんなに苦行になると思わなかった。毎日日記をつける人は本当すごい。ストイックマンだ。
一葉落ちて天下の秋を知るというか、日記を始める前に、自分の普段の習慣の定着率の薄さを睡眠負債への前兆と捉えておけたならもう少し効率的に日記を書けたのかなと思う。つまりは眠いのよ。じゃあ寝ろよ。そんな脳内の痴話げんかを横目にまた今日も日記を書く。
うだうだ言いながら続けるんですけどね日記。ストイックマンになりたいので。あと楽しいし。どっちだよ。わかんないんだよ。ともあれ、書き出す最中に楽しさと苦しさが交互に来て足元がぐらつく瞬間もあるけれど、心が禍福は糾える縄の如しと叫びながら今日を越えよう。
というわけで明日は金曜日。金曜日を越えた先にあるのは楽しいものばかりだ。漫画の更新、ラジオ、テレビ、飲酒。お酒を飲みながらどんな映像を観ようとわくわくするこの瞬間が何よりも楽しい。
しかし、前日ワクワクする割にいつもお決まりの映像を観てしまう。アニメ「物語シリーズ」である。
物語シリーズをご存知だろうか。京都の鬼才・西尾維新先生原作の怪異100%系作品で、現在ほとんどのシリーズがアニメ化されている。
もう私はこの作品が大好きである。出会いは中学生の頃、生まれて初めて自分でレンタルしたアニメが物語シリーズだった。
最初の「化物語」では、怪異に憑かれた6人の女の子が登場する。ツンデレ文具令嬢、眼鏡っ娘巨乳、迷子のツインテールロリ、一途JC、百合っ気のある後輩、無口な童女といった個性的すぎるラインナップに姿を与えてくださったのが絵師のVOFANさん、そしてキャラクターデザインの渡辺明夫さんである。もう、この正に、姿のなかった、私たちの頭の中にあった想像上の少女たちへ完璧に、いやもうそれ以上の姿を与えて下さった2人には本当金一封を差し上げたいけど金欠なので大きな声でお礼を言います、ありがとうございます!!!!!!よくわからん不安や伝説に妖怪としての姿を与えて下さった水木しげる先生を思い出しました。ポストしげるさん。SHIGERUの方がかっこいいな。ポストSHIGERU。Hoooo!
物語のあらすじはざっくりいくと、主人公の男子高校生が、怪異に取りつかれた少女たちを救ったり救えなかったりする話だ。ちなみに作中に登場するイケてるおっちゃんによると、救うも救われるも人が勝手に助かっただけらしいのでこのあらすじは一視聴者の私の主観である。
当時アニメを観ていた私は、素晴らしい女の子たちの姿に興奮を覚えながら、ふと「ははーん、これ怪異から救った女の子達とハーレムつくる話だな」と先を見越した気でいた。なんと浅い視点か。タイムスリップしたらミスドでお説教しちゃいそうですね。そう、「ハーレムつくるかと思ったらところがどっこい系アニメ」、それが物語シリーズのギャップでもある。
私は当時、眼鏡っ娘巨乳である羽川翼というキャラクターがとても好きだった。眼鏡をかけた女の子が好きという私の嗜好に加えて、彼女の1番の魅力は聡明さである。おさげ頭に眼鏡の見た目通り委員長を務める彼女の口癖は「何でもは知らないわよ。知ってることだけ」。主人公がお前は何でも知ってるな~と感心した時にいつもこの回答をしてくれる。超可愛い。超聡明。うーん己の語彙力が浅瀬で泣いちゃった。
そんな彼女の謙虚さと努力が垣間見えるこのシーンをきっかけに、羽川ちゃんを好きになったのだが、そんな彼女が抱えている闇は想像以上に深く一視聴者である自分にも突き刺さるものだった。天涯孤独、愛を知らない羽川ちゃんが唯一恋をしたのが主人公だったのに、その主人公は最初に救ったツンデレ文具令嬢を恋人に選ぶ。
もうそれを知った時めちゃくちゃショックだった。いやいやいや!主人公、羽川ちゃんの一挙一動になんかドギマギしてたやん!ハーっ、鈍感も限度を超えると一種の悪だなと怒り心頭だったんですが、今考えると恋人を情で選ばない主人公は、誰よりも誠実なのかなと思いますね。誰だよ自分。
そんな波乱のアニメ禍で特に印象深かったのは、「味覚」についてのやりとりだ。某シリーズ目のとあるひとコマにて、ツンデレ文具令嬢に家庭の味を質問された羽川ちゃん。ドレッシングはかけるか、コーヒーに砂糖は入れるのかといった一見何の変哲もない質問群に、羽川ちゃんは全て「無」と解答する。家庭の味が「無い」ということ、それは裏を返すと彼女の人生に家庭を感じる瞬間がなかったことを示している。
門前の小僧習わぬ経を読む。ふだん見聞きしていると、いつのまにかそれを学び知ってしまう。環境が人に与える影響の大きいことのたとえだが、その影響は必ずしも良いものとは限らない。そこの良し悪しを判断するのも本人だから、外野は語るのは野暮だけど。
家庭環境を味覚を通じて表現する際の違和感の無さ、けれど深い闇が潜んでいるこのシーンは、ずっと忘れることができない。
他人には他人の地獄がある。そしてその地獄は、本人以外には見えない。だからこそ、その見えない部分を想像する力は大切だ。その力を養うために、シンパシーとエンパシー、つまり「同情」と「共感」の違いを理解することが重要になる。「同情」は自分の目線から相手を憐れむことであるが、「共感」は相手の目線に自分が立ち、他人の状況に身を置いてみることだ。他人の靴を履いてみることでわかる痛みや、気づき、見えてくるものがある。
物語シリーズ最大の魅力は、主人公の共感力の高さだ。他人の痛みに気付き、苦しみを想像できる主人公だからこそ、誰かを救おうと、日々奔走するのかもしれない。例え、勝手に救われることがあろうとも。
それを「優しさ」なんて言葉で片付けてしまうのは本当に忍びないのだが、これ以上に、彼を表すためのしっくりくる言葉も見つからない。
優しい人なのである、ありゃりゃ木くんは。
失礼、嚙みながら、今日はこれにて。