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5月12日「蕎麦湯怪談とお風呂」
お題:悲喜こもごも、三十六計逃げるに如かず、夜目遠目笹の内
2021年5月12日の日記。
お湯につかり、本が読みたい。そんなことを考える度にむくりと起き上がる反論、「本が湿気る!」ことである。湿気をよく吸う本と、お風呂の相性は最悪なはずなのにどうして一緒の空間へ集わせたくなるのか。一生の謎である。
お風呂場は家の中でも不思議な空間だと思う。皆一様に裸になり、汚れをかけ流す。どんなに立派な肩書の人間も、そうでない人も無防備な赤子のように一糸まとわぬ姿でお風呂場に滞在するのだ。世界中のどんな場所よりも、お風呂は平和でフラットな場所だと思う。最も身近な治外法権の土地、それがお風呂場である。
しかしお風呂場の治外法権の対象は人間だけではない。お化け・霊も対象となるのだ。怖い話がよく持ち上がる場所もまた、お風呂場である。
私には生まれつき霊感が全くない。恐ろしい程ないので、逆にお化け類の話は全て信じてしまう。それは嘘だね、それは本当、とお化け話を仕分けすることが出来ればいいのだが、霊感が皆無のためお化け判断基準が限りなく低いのだ。白くて揺れていたら、もうそれはお化けである。湯気すらも安易に何度お化け認定したことか。
そのためなのか、シャワーを浴びながら「お化けが出た時の対処法」を考える癖がついてしまった。いや、本当色々考えた。シャンプー後お化けがいたら、塩をまくとか、シャワーをかけるとか、「キャーッ!お化けさんのエッチ!」って叫んでしずかちゃんになりきるとか、本当色々考えたのである。しかし私は気がついてしまった。一目散に逃げるのが一番良いと。塩まいた後にまだお化けがいて通せんぼでもされたらもう気絶案件である。虎屋の羊羹でも持参しないと通してくれないだろう。そんなの湯冷めしてしまう!
三十六計逃げるに如かず、どんな工夫を凝らした作戦よりも、場合によっては逃げることが最良策だったりするのだ。
個人的に、お風呂お化け話で一番怖かったのは「シャワー浴びてる時、背後から視線を感じ振り向いたら誰もいなかったりするでしょ?あれ実は上から見てるんですよ(笑)」類の話である。笑えるか!!怖すぎるちょっと今も怖くなってきた。どうしよう。
夜目遠目笹の内みたいな言葉があるが、あんなの許されるの美女だけで、お化けが夜目遠目笠の内にいたら気絶する程怖い。だけどそれらの薄暗さはない、明るいお風呂場にいるお化けの方が、夜目遠目笹の内で佇むお化けより怖い気がするのは何故だろう。私だけだろうか。
そういえば最後に、友人のお風呂話を思い出した。友人の実家風呂には、立ち上がった時の顔の高さに、辺30センチほどの正方形の窓があった。何故だか湯気がたまりやすく、いつも窓を開けっ放しにしてお風呂に入っていたらしい。幼い弟とお風呂に入っていたある日、シャワーで弟の髪を洗っていると、窓の外に手がにゅっと伸びていた。誰かが外で手を挙げていて、肘から先だけが窓から見える状態だったらしい。ははーん、近所にいるどこぞの悪ガキの仕業だな。そう感じた友人はひと言言ってやろうと思い、ひとまず弟の頭についた泡を流した。そうしてもう一度窓をみると、もう手はなかった。あれ、窓下にしゃがみ込んでいるのかな?そう思い、立ち上がり窓から顔を覗かせる。そこで友人は思い出したらしいのだが、実家は川沿いに建っており、お風呂場の隣は川だったらしい。もちろん、お風呂場と川の間に人が立ち入れる細道もなかった。私はこの話を聞いた時、あまりの怖さにお風呂イヤイヤ期を発症した。中学2年生の夏だった。本気でシーブリーズで乗り切ろうとして怒られた。
そんなこんなでお風呂場が怖いのである。しかし、湯船につかることは大好きだし、そこでゆくゆくはアイスとか食べながら本読みたいし、でも怖いし。堂々巡りをしながら湯船につかる私の心情は、悲喜こもごも、いや怖楽こもごもである。
そういえば、マヂカルクリエイターズの蕎麦湯怪談が面白かった。お風呂の楽しさを工夫すれば、この恐怖も蕎麦湯のように薄くなるのだろうか。
今日も湯船に身体を浮かべ、そんなことに思いを馳せる。