7月7日「エラー」
生きているとお腹が空く。食欲は、辛い日も嬉しい時も無秩序な感情の波に流されることなく、厭なくらい規則的に、一種の滑稽さを含んだ秩序に乗ってやってくる。
この日記を書いている間にも無性に腹の虫が鳴き、コンビニに行って焼き鳥を2本買った。蔓延した疫病により隔たりを余儀無くされたイートンインスペースに座り、そそくさと開封する。
なんの気無しに断ったチンのおかげで冷え切った焼き鳥が、次々と口内に運ばれる。
冷えた鳥は硬い。なので咀嚼に時間がかかり、嚥下を待つ間に残りの鶏肉と目が合う。
土気色の串に刺さった肉塊から、生前の姿を想像するのは難しい。私たちが鳥だと思っているだけで実際は鳥じゃないかもしれない。これらは魚かもしれない。騙す意味がないから鶏肉だろうけど。
私たちは普段心を殺し、食材と対峙する。いただきますの呪いをとりあえず唱えて、食べる。今食べている食材の生前の姿なんて想像もしない。想像してしまえば嫌悪感で食べられなくなるからだ。牛、鳥、豚、魚、人間。そこにある隔たりは所詮人間が作った枠組みで、他の星から地球を見た際、そこに住まう生命に甲乙などない。今咀嚼されている肉と、肉を使い咀嚼している自分。そこになんの違いがあるというんだろう。ただ分かっているのは生きるために食べる、それだけである。
無事嚥下された肉が管を通り、胃に着地する。瞬間に、己の底を感じることができる。底を知ることは安心にも繋がる。天井を決めてしまうことは可能性を阻むことに他ならないが、底は知っておかないと自分自身の足場が常に崩落していくような感覚に襲われる。己の底の無い真暗な空洞にどんどん落下していると、車酔いに似た気持ち悪さに襲われ早く底についてくれと祈りを始める。その祈りは、過食衝動として現実世界に表出し、何かを必死に食べている間、自分が赦された気持ちになる。その祈りや赦しの対象が決して神ではなく、自分なのがミソかもしれない。自分に対して自分が祈り、赦しを乞う。胃袋は教会で、過食はミサと似ている。
底に対する不安は、私の場合お酒を飲んでいる時に感じる。お酒は別に弱くないし強くもない。だから飲酒をすれば人並みに酔うし、フワフワするし、ハイになるし、顔も赤らむ。けれど、2日酔いになったことがない。そして吐いたこともない。自分の底が分からない。
果敢に飲んでいないのも理由にあるかもしれない。2杯目からは絶対にチェイサーを頼むし、安い居酒屋ではワインや日本酒は飲まないようにしている。人前で醜態を晒すのが怖い。自分を見失うことがとても怖い。私は記憶が飛んだことなんてないから、理性が飛んだ先の自分がどんな行動をするか、想像もつかない。もし朝目が覚めたら木に登っていたらとか、知らない家の犬小屋で寝ていたらとか、誰かを怪我させていたらとか、不安を挙げると尽きない。底を知らないからこそ、天井を決めて上から漬物石でどんどん押し潰し、底に辿り着こうとしている。なんと浅はかな。
自宅だと大丈夫かもしれないと思って、1人の時はいつも以上に飲酒する。けれどベランダから落ちると怖いから鍵にガムテープを貼り付け、玄関のチェーンは外しにくいよう何度かねじり、叫び出しても大丈夫なようテレビのボリュームを少し上げ、急性アルコール中毒が怖いから5分に1度登録してある救急の番号を眺める。脚色も笑いも無しにここまでやって飲酒していたら、幻覚作用のある毒を試す名前も知らぬ誰かのブログを思い出した。途端にお酒にこんなに怯えている自分が滑稽で虚しく、その虚しさを埋めるためにまた酒を仰ぎ、膝をついて自分の底に祈りを捧げる。
まだまだ底に足はつかず、そもそも底なんて自分で決めてしまうものなのかもしれないなと地面を眺める。古い家のフローリングは木目がよく見えて、歪んだ顔にも見えてくる。ムンクの叫び、モクメの叫び。私も叫び出したかった。目の前に見えている、自分が現実に踏んでいる床底から這い上がる狼煙のような叫びと私の声にならない叫びが共鳴し混ざり合い、周囲に漂う。浮いた叫びは鼻腔を刺激し、ポトリと床に水滴が落ちる。体内から出た水滴は、鼻から出たら鼻水だけど目から出たら涙になる。私の場合、鼻水だった。反射的にティッシュを探す。空を切った手が空いたビール缶に当たり、ビール缶は周囲の缶を巻き込みガランガランと横たわる。がらんどう、そんな言葉が底の見えない胴体に響き渡る。がらんどう、がらんどう。もはや効果音なのか単語なのか分からなくなってきた。ぼんやりと天井を仰ぐ。誰かが上から抑えているが如く低い天井には、星によく似たシミが広がる。シミは私を見て笑い、私もシミを嘲笑う。がらんどうな脳と胴体に、互いの笑い声が響いて止まない。体内のスピーカーがエラーを起こしたようだった。笑い声はどんどん大きくなって、とある地点でプツンと切れた。私の手にはリモコンが握られていて、テレビを消した瞬間に全ての音が消えたようだった。
歯磨きのため、足に力を込め、床底を踏みつけ、立ち上がる。
底を知るのが先か、身体がエラーを起こしてしまうのが先か。そんなの神のみぞ知る話である。
♢ミサとミソとみぞが文中散らばっているよ!見つけられたあなたは終日ハッピーディかもしれない。
全然関係ない繋ぎになりましたが、山下紘加さんの「エラー」凄まじかったです。面白かった...。