「ネット怪談の民俗学」は役にたつ
こんな本を待っていた!!
わたしは怪談がとにかく好きだ!!YouTubeでは唯一、怪談チャンネルだけチャンネル登録している。
(↓声が好き)
日頃から怪談に触れているわたしは、インターネットの勃興以前と、以降、怪談がどんなふうに形を変えていったのか?は実は少し考えたことがある。
この本が、答え合わせになっていたら嬉しい。
洒落怖
匿名掲示板2ちゃんねるから生まれた「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」、の中から「きさらぎ駅」や「ヒッチハイク」などネット発のレジェンド怪談がぞくぞくと映像化されている。わたしはいつもニコニコと享受させていただいている。
なかでも「コトリバコ」が登場する「樹海村」は本当に大好きな映画だ。年1では見返している。
しかし周りや世間の評判は芳しくないようで、映画の好みは人それぞれだと痛感したりもしている。
本を読んで
この本を読んで、自分は全然ネット怪談の真髄を知らないなと気付かされた。
ネット怪談の特質は参加型であることだ。
怪談投稿者だけではなく、聞き手も一緒になって盛り上げていく(作品を作っていく)
コールアンドレスポンスそしてリライトを通して、発展していくのだ。
わたしはただ、誰かがまとめたのを読んでいるだけだ。
冒頭に書いた、インターネットの勃興以降に起こった怪談の変化は未開の地を恐怖の対象にできなくなったことがまず大きいと考えていた。
いまや海や過酷な山、政府の施設でもない限り未開の地、世の中に知られてない狂気の里なんてものにリアリティを持たせるのは難しい。
しかし不特定多数が肉付けしてソレっぽくしてくれたら、確かにウケるし、少なくともその場でのリアリティも担保できそうだ。
読み手が怪談の説得力を肉付けしてくれるのだ。
聖書でも神話でも、歴史でもリアリティの判断は客観的な目線があるかどうかにかかっている。
因習村
この本では無意識の差別に気付かされることにもなる。
因習村というジャンルはネット怪談で一大ブームを築いた。
土着の信仰、狂気の祝祭、狂った習わし。
そのジャンルとしての面白さは、横溝正史のミステリー作品、映画ではグァルティエロ・ヤコペッティ監督などネット以前から、いくら挙げてもキリがない。
著者は因習村を楽しむには、自分が文明人である自覚と、田舎には文化の届かない野蛮さと、非人道的な習慣があってもおかしくないという潜在的な差別に近い意識が後ろ支えになっているのではないか?と書かれていた。(意訳)
なるほど〜〜〜・・・
刺さった。深く考えたことはないが本当にそうかもしれない。
陰謀論が特定のスケープゴートを作る傾向にあることと近いものを感じる。ぜひとも創作を楽しむ範囲に留めたい。
ネット怪談という文化は発信者と受け手が協力して怖がろう、怖がらせようという適度な共犯関係をベースに続けてきた叡智だ。
きらさぎ駅のようは、異界駅シリーズなんてクトゥルフ神話を彷彿させる。
ハッキリいって超coolな文化だと思う。
わたしはこういう悪ノリこそ、尊く感じる。これからもネット怪談はやめられそうにない。
2025年はじめて読んだ本が「ネット怪談の民俗学」となった。タイトルからしても景気がいい。
最後に、私の好きなネット怪談を・・・/閲覧注意だ!