【うつ闘病記】地宙人、家を買う - 10_さよなら先生、よろしく先生
二○一六年の春にボクは転院した。ネチネチ部長が、もっと有名な病院へ転院することを勧めたのがきっかけであった。転院先はドコにしようか悩んだが、うつ病を発症した当初、ピンちゃんが買ってきたうつ病の本(ちなみに、非定型うつという新しいタイプのうつである)の執筆者がいる病院が職場から歩いて行ける距離にあることがわかった(定時後でも診察に間に合う)。その病院はホームページも立派で、よくある胡散臭い感じもしなかったので、その病院に転院することにした。
一番初めに駆け込み寺的に訪問したおじいさん医師には、親身にしてもらったが、仕事をしていると診療時間が合わない(午前休みを取得しなければならない)し、ちょっと「くすりだけいろいろ出していればいいや」みたいなところもなくはなかったので、ボクとしても良い機会かな、と思った。
転院先の病院は決して広くはないが、ビジネス街の一等地のビルに何階かに分かれて入っていた。毎回予約料がとられるのが誤算だったが、その手数料のせいか、患者層が比較的小奇麗というか落ち着いている感じがした(要は変な人がいない)。転院ではあるが、初診ということで予め入手していた何種類もの束の問診票を提出して、診察を待った。
診察では、幼いころのことから今のことまで幅広く問診された。結果、受けた診断が冒頭の『ADHD』である。後で分かったことだが、この先生はただの精神科医ではなく、ADHDの方面でも専門家であるということであった。転院してこの医師に診てもらわなかったら、ADHDは判明しなかったので、正に転機といえよう。
この診断から、うつ病の薬とは別にADHDの薬を処方されることになった。投薬により劇的な効果というものは感じられなかったが、とはいえ薬を飲む前に比べ若干頭が冴え、物事に集中できることを実感した。単純なミスも少なくなったし、複数の仕事も前よりはこなせるようになった(気がする)。いずれにせよ「社会に順応しやすくなる」と言った点で、良い兆候ではあった。ただ、薬がとても高価という点から、僕の場合、コストパフォーマンスに疑問を持つことになったのだが。
うつ病の症状の方は当初よりもだいぶ良くなったが、相変わらず一進一退の状態であった。悪くなる時は本当に悪くなった(とてもじゃないが動けない)。良い時は本当に良いのだが(飲み会に参加して談話できるくらい)。
この時は、良い病院に当たったという実感があったので、いずれはうつ病も良くなるであろうと信じて疑わなかったのだが、それはちょっと甘過ぎる考えなのであった。
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