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徒然なるままに正月#2

1月2日(自宅にて)

朝。おせちを作り始める。毎年、もうやめよう来年はやめようと思うのだけれど、今においてまだ作り続けている。

正月のおせちは枕元のクリスマスプレゼントに似ている。
形式的なもの…けれど心が伴う。
少なくとも私のサンタクロースは両親なのだ、と知った小5のクリスマスイブ、母からプレゼントを「ほい」と手渡されて泣いた事を覚えている。「サンタがたとえサンタじゃ無くとも、プレゼントは枕元に置いて欲しい」。
あの日の私と今の私はそう変わっていない。

うちのおせち
・桜エビの炊込みご飯(有頭海老が苦手で、共に背中が曲がるまでは毎年桜エビに任せきっている。)
・里芋の白煮(この日ばかりはちゃんと亀を意識して剥く。)
・筑前煮(ご利益は何か)
・鰤の照り焼き(夫がすごく食べていた、きっと出世は見込めないけれど。)
・ブロッコリー(実家では代々おせちの森と呼ばれている。)
・牛肉の網焼き(こちらも代々実家のおせちに入っていた。)
・角煮(夫の実家のおせちには角煮が入っていた。結婚するって混じり合う事よね)

…エトセトラえとせとら。

実家で当たり前に入っていた牛の網焼きやブロッコリーが当たり前じゃ無いと知ったのはいつだったろう。

結婚1年目、張り切って作った伊達巻、松風焼きはすぐに消え去った。紅白なますは3年で諦めた。夫が手をつけないものがおせちから消えていった。

若い頃は煮物が嫌いと言っていた夫。それでも作り続けた筑前煮を夫がうまいと言い始めたのは5年程前からで、最近は鍋いっぱいに作っても残らなくなった。

市松模様におしゃれに並べていた紅白の蒲鉾は、毎年余って白一色になった。ところが3年前にたまたま出会ったチーズの入った赤い蒲鉾が仲間入りして、紅白が復活した。

夫の実家の真似をして豚の角煮を入れ始め、去年評判がよかった菜の花のお浸しは定番化しそう。ホタテやイクラが加わったのもここ数年だ。

魂はそのままにおせちは柔軟に変容していく。歴史ってこういう事。

夜。おせちを並べていたら、いそいそと夫がカップラーメンに湯を入れ出した。もう飽きたらしい。(大晦日元日と両母のおせちを食べてきたので、しょうがない気もする。)

おいしそうにカップラーメンを啜る夫を見て、やっぱり来年はおせちをやめるべきかとまた考える。もう枕元にプレゼントは無いのだし。

夜中。お酒を飲んでいた夫がご機嫌で鼻歌を歌いながら、冷蔵庫をゴソゴソし、おせちを出してつつき始めた。

きっと来年も私はおせちを作る。
サンタクロースの夢をみる。


年末の価格高騰で母はブロッコリーを諦めた様で、実家のおせちからブロッコリーが消えた(生まれてはじめての珍事である)。
母の機転?によりブロッコリーの定位置には蒸したジャガイモが並べられていて(なぜジャガイモ…)、「おせち砂漠化」とつぶやいたら家族に少しウケたのだけれど。2日、砂漠はポテトサラダになったらしい。

母の砂漠と
私の森と

ブロッコリーを諦めそうになった話はこちら

ブロッコリーを諦めなかった話はこちら

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オクノモト
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