54冊目*一汁一菜でよいという提案(土井善晴)
食べることを考えるのはもう嫌だ。
そんなあなたに魔法の言葉を…
「晩ごはんを考えるのが苦痛…」
夫から溢れた言葉だ。
我が家は、共働き歴もうすぐ二桁になる。
扶養内からフルタイムへ変わってからはまだ日が浅いので、家事分担がうまくいっていない。
そもそも先手で取捨選択されてしまったこともあるので私がしなければ業務は溜まっていくもののほうが多い。
しかしこの度、夫から買い物と調理をすると申し出てくれたこともあり家事の大半を担うそれをお願いしたのだ、が、早々に根をあげた。
わかったかー!!!!!!
お迎えのあと急いで帰って30分も満たない時間で「一汁三菜」を作っておかなければ機嫌を損ねた君よ、思いしるがよい…と勝ち誇った気持ちが湧き上がったが、猛省する彼を見て負の気持ちは一瞬で昇華されたのだった。
同志よ!
我らを苦しめるこの現象は、主婦(夫)たちの3人に1人は陥るものらしい。それをある人は「晩ごはん症候群(シンドローム)」と名付けている。
うまい!!!!!
家族の昼飯、栄養バランス、季節物やら食べたい気持ちを直近データから予測し献立を決める。家事を担う人々の能力というものは、この社会に必要とされているすべてのものが備わってる人なのではないだろうか…と常々思う。
さて、献立を考えるのもさることながら、調理手順や家人の行動パターンを読み温かなメニューを提供する、後片付けからの次の食事の献立を考える…。それを24時間365日だ。※外食については有給と考えておくとしよう。
似通ったメニューを供すれば「またこれー!?」が発動する。おかずが一品ついてるだけで贅沢とおもえ!!!!!だ。
そもそも私は料理が嫌いだ。
というか、結婚するまで家事をほぼしてこなかった。これは祖父からの伝承で「どうせ嫁いだら家事をするのだから子ども時代を謳歌せよ」を受け継いだ母の考えだ。
結婚と同時に料理をした。
いわゆる米を洗剤で研ぐとか、苺をたんまりいれるだのという桁外れのことはしなかったにせよ、飯マズ妻だったことだろう。喧嘩も絶えなかった。あんまりにも言われるので悔しくてテレビの料理番組を片っ端から貪るように観たものだ。
その中には、心の師匠・土井善晴先生ももちろんいた。一汁一菜を提唱する彼の考えを我が家は取り入れたい…と私一人で狙っている。
土井先生の食卓は、一見簡素に見えるが華やかだ。ご飯と具沢山のお味噌汁、香物。
それだけ?となるかもしれないが、お味噌汁の中で季節が巡る。時季ものだからと食卓を彩るものだけでも会話が弾む、理想だ。
食育と謳われている行為は、そんな言葉を使わずとも昔から受け継がれていたのか。
さて、今夜はきのこを使った何かにするらしい。
弱音を吐きつつも、夫は今日も食事を作る。夫が休む日は私が作る。夫婦二人でなんとか家事をしていこう。私には魔法の言葉がある。
「一汁一菜で良いという提案」
肩肘張らずに、のんびりいきましょ。