76冊目【本のはなし】遊ぶように生きたい、真面目に遊びたい!!/朝活54日目
「年々、早く感じるのよね」
これは、17年前に他界した母方の祖母の言葉。孫たちの成長を喜ぶと共に、一年が早く感じるという。それは徐々に娘たち、つまり私の伯母たちに受け継がれている。
会うたびに「一年が早い」と言う。母は6人姉妹の4番目、四女の彼女もそれがすでに口癖になったかのように言い出している。
伝統芸かもしれない。
なぜなら、それは私にも継がれはじめたからだ。「一年が早く感じる」いつからだっただろう。
三十路を超えたあたりから、気づいたら四十路までカウントダウンをしていたと思ったのに3年も過ぎてるではないか!!
40才までにやっておきたい◯◯系の本を読んでみたけれど、時すでに遅し…と言われている気がして泣きたくなってしまった。
まだ7年もあるのだから、今が一番若い、と自分に言い聞かせてみても、2023年が明けたばかりの頃の私は「ネガティヴが服を着ている」状態。
隣の芝生ばかりを見つめては、ため息。我が家の状態は見て見ぬふりして美しい芝生を汚すことばかりを考えていた。文字にしたら、目も当てられぬ嫌なやつ全開だな…胸くそ悪い。
嫉妬心の塊をどうしてほぐせたのだろう。もちろん今もまだ、羨ましさが時々、妬みに変わりそうになる時もある。だいぶ回数は減ったけれど…。
「妬み、嫉み」は、いかんということはわかる。でもなぜだろう。それに近しいものでライバル視というのがある。
ちなみに…嫉妬心とライバル心について調べてみた。
前者が、嫉妬心。
後者が、ライバル心。
似ているようで全く違う、嫉妬は感情だったのか。ポーカーフェイスになれない私は、感情をむき出しにし、誰も得をしない態度をしていたのだろう。
その一番の犠牲者は、子どもだったに違いない。ある日突然、やることなすことに口を出す。出したかと思えば、突き放す。言葉は違うが「いい加減にしろ」と我が子に言われた時に、はじめて自分が犯してはいけない領域に、ズガズカと土足で入っていることに気づいたのだ。
慌てて、知人のコーチに話を聞いてもらった。いわゆるコーチングという、対話によって相談者本人が答えを導きだしていくという技法だ。
知人との対話により出てきた答えは、自分時間を増やすということだった。子どもから話しかけられるまで、待つを徹するには、忙しくしていなければならない。ただし、仕事や家事などでは不満もたまる。好きなことをしなければ…。
まずは、2023年は探すことからはじめることにした。徐々に自分の声が聞こえる様になってきた。我が子との距離感もだいぶ掴めてきたと自負している。(たまに間違えて詰めすぎたり、離れすぎたりしてはいるが…)
気づけば12月。やはり、一年は光の様に早かった。だが、濃い一年だった。自分の足跡も残すことも出来ている。
ゆとりが出てきたのだろうか…。ふと、目に止まったこちらの本。いやよ、いやよと言いつつやっぱり気になってしまうのだ。
50歳から花開く人、50歳で止まる人(有川 真由美)
私の懇意にしてくださる年上の知人たちには、「もう◯才だし…」と言い訳をする人がいなかった。本著にも書かれていた「遊ぶように生きる」そのものをやってのけてしまう人ばかり。
二十代後半で出会った人たちの当時の年齢は、今の私と同世代。今だに、あの時と変わらず活躍してるし、好きなことをしている。
SNSで見かける顔は、真面目に遊ぶを体現している顔そのもの。そして満足げな笑顔が印象的だ。
そうだ、私は彼らのようになりたかったのだ。「遊ぶように生きる、真面目に遊ぶ」そして「100才まで続ける」その気持ちでこれからは、花開いていきたい。
だって「年々、早く感じる」は、変わらないんだから…。