78冊目【本のはなし】和菓子は推理だ!/書活56日目
和菓子は推理だ!女探偵にでもなったつもりでツンとすましてガラスケースを眺めよう。
和菓子を見ると、いろんなシチュエーションを思い出す。我が家にとって、それは季節を知らせてくれるものだ。
花びら餅は、新春の訪れ。
元日の朝、お屠蘇からはじまるのが我が家の決まり。父からお猪口を受け取り「明けましておめでとうございます」と言い合う。お酒は好きだが、体に合わないようで、空きっ腹の清酒はすぐに体じゅうを駆け巡る。おせち、お雑煮と食べ終える頃には、フラフラになりながら一眠りする。
起きると母が、熱いお茶と花びら餅を出してくる。酔い覚ましの日本茶にほんのり甘い餅。口に含むだけで春を感じる。
花びら餅は、ほんのり赤く染められた餅(ギュウヒの場合もある)にごぼうと味噌餡がはいった和菓子だ。もっちりと噛んだ先にコリリとごぼうの歯触りがなんとも初々しい。年が明けたと改めて実感をし、元日は暮れる。
ひな祭りは桜餅。我が家は、なぜだか道明寺。おひなさまの前に飾って三月三日のお祝いをする。同じく雛人形の五月の節句には柏餅。実はつぶあんが苦手な私は、断然味噌あんを選んだ。その頃に鮎という名の和菓子も買ってくれた。きみしぐれは秋だった。
冬はなんだろうか?年末は、両親がそろって仕事のため忙しかった。和菓子どころの話ではなかったのだろう。街が賑やかになると同時に父と母もバタバタしていた。余談だが、二人が走っているように見えていたため、師走は両親のことだろうと思っていた。
冬の和菓子のことは知らない。
冬の和菓子は知らないけれど、和菓子を食べる格別なタイミングを私は知っている。テレビを見ながら食べるのだ。
それも夕方のサスペンスドラマの放送枠。山村美紗、西村京太郎などの2時間ドラマ。日本各地に旅をしつつ犯人を追い詰める出演者たちは、よく食べている。
特に赤い霊柩車シリーズに出ている山村紅葉さんが、それはそれは美味しそうに和菓子を頬張っている。モグモグほっぺたが動く動作を見るとどうしても和菓子が食べたくなる。
話の本筋、誰が犯人だろうがもう関係ない。紅葉さんが何を食べるのか生唾をゴクリと飲み込みつつ見守るのだ。お団子におまんじゅう、そして季節の和菓子が目に入れば、それを右手に持つ極上の幸せ。
どうか、今日は赤い霊柩車シリーズでありますようにと願いつつ、この至福の時間を楽しむのだ。何せ、紅葉さんのモグモグタイムを見られるのはこのドラマシリーズだけだったはず。
甘味があれば小説も進む。銀座ウエストで洋菓子と共に読む鬼平犯科帳は、違和感が絶妙だったし、江戸川乱歩でレトロモダンを感じつつ頬張る芋羊羹も絶品だった。
さて、今回見つけた小説
和菓子のアン(坂木 司)
赤毛のアンではなくて、和菓子のアン。タイトルに惹かれて開いたのだが、ご近所ミステリーというジャンルと言っていいのか?デパ地下の和菓子屋さんが舞台の話だった。
ミステリーといっても、誰も死なない平和なものだ。来店するお客さまのちょっとした不可解な行動や悩み事も、選んだ和菓子で解決してしまう。
読んだだけで、和菓子屋さんに行きたくなった。なぜなら、和菓子を通して歴史や文化、そして和菓子を誕生させた遊び心を知ることができて、明日誰かに話したくなってしまうから。おもたせには和菓子が断然いいに決まっている。
そういえば、ガラスケースに入った小さな宝石のような練り切りは、幼少期からの憧れだった。季節ごとに変わる花や果物、何かを模したもの、一つ一つの名前はわからなかったからこそ、弟と共になぞなぞを出し合ったことを思い出した。
その和菓子を出しながら、なぞなぞを出し合ってもいいだろう。和菓子は推理だ。
ミステリーの主人公さながら、あごに人差し指をおいて、ガラスケースのなかを見つめるのも乙かもしれない。