短編小説『知恩院三門の七不思議』
代々続く宮大工の娘に生まれたものにとって、お金と時間は無限にあると思っておりました。
それが今ではどうでしょう、お金と時間に縛られてしまうことばかりです。
世の中の全ては、お金と時間に左右されてしまっています。
なんて、さもしい時代になってしまったのでしょう。
ましてやお金で人の命が左右されるなんて。
五味金右衛門様が知恩院山門の建設費用がかかり過ぎて幕府から咎を受けて、切腹されたことが不憫でなりません。
ちなみに三門に内緒でお納めした五味夫妻の木像は主人が彫ったものです。
さすがにお仏師さんに頼むわけにはいけないので、夜にこっそりと作業場で彫っておりました。
大棟梁と雖も仏さまを彫るには素人に毛が這えたくらいの出来映えですが、何とも言えない味が出ております。
後世になって、三門の屋根裏から、その木像が見つけ出された時は、何でこんなところに木像と棺が出てくるのか誰も分からないでしょうね。
その頃は、誰もその由緒を知る人がいないでしょうから。
どうおもうでしょうか。楽しみです。
もう一つお話しておきます。
左奥の柱が一本少し削れているのに、気づいておられますか。
あれは左甚五郎が、削ったものです。
これも、甚五郎らしい逸話なのですが、三門が完成間際になったころに、一本の柱を見上げて、甚五郎が柱の中に観音様が入っていると言い出したのです。
あまりにしつこく言うものですから主人も見かねて甚五郎の好きにさせました。甚五郎は、わが意を得たりと、やすりで柱を削り始めたのです。
最初は、木のしみにしか見えなかったのが段々と人の顔のようなものが浮き上がってきました。
しかしこれ以上、削ってしまうと柱がいびつになってしまいます。
主人も、どうしたものかと思いあぐねました。そして五味様に相談しました。
五味様は、しばらく左奥の柱をずっと眺めておられました。
五味様にも、この柱の中に観音様がいらっしゃると甚五郎と同じことをおっしゃいます。
そこで、まだ削ることになりました。
するとどうでしょう。観音様のお姿が浮かび上がってきたのです。
柱はそこだけ大きく削られています。
しかし見事な観音様のお姿です。
知らず知らずのうちに、皆が手を合わせています。
何と霊験あらたかなことでしょう。
私達の生きた時代。
あの三門はたった二年でできたのです。千年は残る三門の歴史の中で、たった一瞬にしか過ぎない二年間なのです。
甚五郎の若い姿が目に残り、五味様の悲しい最期が心に残ります。
あら、外の方で籠った音がして騒がしくなりました。
主人が帰ってきたようです。
主人はもう六十九になりました。
もうすぐすると、父の亡くなった年を追えます。
世の中も随分落ち着いてきました。
あと何年生きられるのでしょう。
今夜のように、また五味様のお葬式の日のように、牡丹雪が京の街に降り注ぐ日は、あとの残りの人生でほんの数日しかないでしょう。
もう、今夜のようにあの三門に費やした二年間を思い出すこともないかも知れません。
私にとって、知恩院さんの三門は、生きてきたあかしなのです。
ずっとこのまま、何千年も、そのままでいい。無言のままで、私たちの生きていたあかしを後世に伝えて欲しいのです。
終わり