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時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第16話「敵に背を向かすな」
「分かった。菊屋に戻る」
新選組大石鍬次郎隊に配ったおにぎりが、一人ずつ順番に食べ始め、最後になった廣瀬という隊士が、震える手で懐からおにぎりを出し、不器用な手つきで竹皮をむいて、口に運ばれるのを確認して、斎藤一は河原町通りに出た。
いつものように大手を振って歩くと怪しまれる。懐手をして、屋敷を抜け出して遊郭にしけこもうとしている藩士を装った。
さりげなく中岡慎太郎が潜む福岡邸の前を通り過ぎた。
門は固く締められて、明かりはなく人気がない。
怪しい。
人気がないのを無理して装っているように思える。
齊藤は、前方に長く伸びている自分の影を見た。
振り返った。
低く月が出ている。
しかも、見事な満月だ。
視線を落とすと路地で福岡邸の見張りを続けている大石らがいる。
首を横に振って、「この月夜の明るさなら、出てこられないだろう」と合図を送った。
再び河原町通りを下り、二、三軒やり過ごして、醤油屋の近江屋の前に出た。
暖簾は仕舞われ、開き戸は閉まっているが、その隙間から明かりが漏れている。夜になっても、まだ作業はしているのだろう。勝手口は開け放たれ、頻繁に職人らが出入りしている様子。
この中に、坂本龍馬が潜んでいるのか。
確かに、このような屋敷は、討ち入りがしにくい。よく考えたものだと思う。
その前を通り過ごして、三間も行かない時、後ろで物音がした。福岡邸の門の辺りから、動くものが出てきた。
月の光が逆光になって良く見えない。
通りの端を大きなドブネズミのようなものが、こちらに向かって来る。
「齊藤さん、援護」
大石鍬次郎の鋭く突き刺さるような声が通りに響いた。
同時に大石隊が通り一杯に広がって、隊列を組んだ。
齊藤には、大石の意図が伝わった。
「追い斬りは出来ない」新選組では、この言葉を徹底的に頭に叩き込まれ、実戦でそれを通感する。
「敵に背を向けるな」というのは間違いで、正しくは「敵に背を向かすな」である。
どれほどの達人でも、相手に背を向けられて逃げられると、追いかけて斬りつけることが出来ない。相手の逃げ足がどんなに遅くても、同じである。
相手を追いかけて斬るには、どうしても足を止めて腰を落さないといけない。
その隙に逃げられるのである。
こちらに向かって来る者らを相手にするのではなく、足止めさせればよい。足を止めさえすれば、大石らが仕留めてくれる。
「こなくそ」
拳を握り締め両手を一杯に広げて、思いっきり叫んだ。
この「こなくそ」というのは、元々は原田左之助が相手を威嚇する時の言葉であったが、効き目があるということで、今では新選組のほとんどがこれを使う。
原田曰く、伊予松山で使っていた「こなくそ」言う言葉は、土佐、長州、薩摩でも大体意味が通じるらしく、これを相手が使われるとそのあたりの藩とは互いに親密なだけに、後々面倒なことになるので、迂闊に刀を抜けないそうである。
やはり効果があった。ぴたりと足を止めた。通りに月の光を背にした三人の影が現れた。
「土佐の中岡慎太郎じゃ。追われている、通してくれ」
びっくりした。狙っている中岡が、こんなにも早く、自分から名乗り出たのだ。しかも同郷のものと勘違いして助けを求められている。
「目標発見」
齊藤は、大声で大石に伝えた。
斎藤なら、相手が三人でも足を止めることが出来る。
「抜刀」
大石は、号令をかけた。
大石は長槍の鞘を取り払い、四人の隊士はすぐさま刀を抜いた。
月の光を受けて、銀色に輝く四つの弧を描く流れ星と一本の稲妻が走った。
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