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短編小説『背徳の味わい』
彼女の作った料理は美味しい。
その上、お箸とお茶碗の重量感がいい。
この重量感が、ご飯のほくほくとした噛み応えの軽さに秘める意味を引き立てる役割を果たしている。
ご飯の一粒が、それぞれに生命を持ったように主張し、噛むほどに調和して幾層にも味を変えて行く。
私は、彼女が出した命題をひたすら解き明かすようにひたすら食べ続けた。
合間にスパークリグワインを飲む。
引き締まった大人の芳醇な味と発泡の若さが相まって、口の中に残る余韻をリセットしてくれる。
そして、インターバルの終わったボクサーのように私はまた食べ始める。
ろうそくの炎の様な彼女の柔らかく温かい視線を感じながら、ひたすら食べる。
料理からメッセージが伝わってくる。
そのどんなに小さな声でも、聞き洩らさないように食べ続ける。
スパークリングワインの緩やかな酔いがこの作業に弾みをつけてくれる。
私はひたすら食べ続ける。
暫くするとそれぞれの料理の中の小さな声が集まってメロディーを奏でだした。
私はそのメロディーに酔いしれる。
どこかで聞いたことのあるような旋律。
それは彼女が、さっきキッチンで料理を作りながら歌っていた曲。
食べ続けるほどに、彼女の歌声がはっきりとよみがえってくる。
「香田さん、さっきの歌すごくよかった。耳に残ってしまったみたいだ。また聞かせてくれる」
「いいですよ。今度は、貴島さんだけに聞いてもらうように歌います」
「ありがとう。こんなに美味しい料理を作ってもらって、さらに歌まで聞けるなんて最高だよ」
香田さんは、はっと気が付いたように、私の食膳に目を向けた。
私はほとんど食べ終わっていた。
「おかわりされます?」
彼女の方を見ると、まだ食べ終わってないみたいだ。
相手のペースを考えないで食べていたようだ。
「すいません。おかわりもらえますか」
私は、ずっとこのまま食べ続けていたかったのだ。
同じ会社の娘ほど年の離れた女性社員。彼女から誘われたとはいえ、独り暮らしのマンションに上がり込み、照明を消してキャンドルの明かりだけの暗闇の中、二人きりで食事をしている。
肩書きのある身分として社会通念上許されない行為であることは十分に分かっている。
それ故、唯々このまま食べ続けていたかった。
それだけで十分だ。
他に何を望むのか?
食欲が満たされると、次に何が待っているのだ?
私は、私の身体の奥にある黒い塊の存在が気になっていた。
私は、必死にその存在を否定しなければならなかった。
キャンドルの炎に照らしだされた香田さんの端正な横顔。
耳に残っている彼女のあの歌声。
幸いにも、その二つの「美」が、私の中で芽生え始めた 「悪」を打ち消してくれるのだった。
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