嵐のあとに(小説『天国へ届け、この歌を』より)
心地よい寝息が聞こえる。
このまま余韻に浸りたい。
眠っている美月に降り注ぐ月の光を眺める。
記憶が断片的に蘇ってくる。
簡単な食べ物や美月の下着などを買いに近くのコンビニに行った。
コンビニを出ると、あの嵐のような暴風雨は嘘のように空はすっかり晴れ上がっていた。
月が出ていた。
見事な満月だった。
妻の美由紀に知らせないと。
ポケットから携帯電話を取り出そうとしたが、見つからない。
どうやら、部屋に携帯電話を置き忘れたらしい。
残念だけど仕方がない。
でも私には、美由紀がこの満月を見ているような気がした。
つい先ほどのことなのに、その記憶が夢の中の出来事みたいに蘇ってくる。
若い娘とベッドを共にしながら、妻のことを思い出すのは、自分でも不思議に思う。
なぜだろう、そこには罪悪感がない。
背徳を包み込んでしまう何かがある。
美月に降り注ぐ月の光と、先程見た晴れ渡った夜空に浮かぶ満月。
美しい。
美が、全てを包み込んでしまうのか。
いや違う。もっと奥に何かがあるはず。
いのち。
そう、生命だ。生きるということだ。
生きるということを形で表したものが、美なのだ。
美が私を満たしている。
背徳をも超越する美。
美に最高位を与える自分。
その先にある生命。
今、私が抱えている漠然とした不安。
それが対極にあるような気がする。
今、古びた映画館に一人でいるような気分だ。
このまま、ずっと、美月の肌に映し出された記憶を見ていたいと思う。
溢れた黒髪の渦から浮かび上がっている彼女の端正な横顔を見つめていたい。
そして、バスローブの合わせ目からのぞく豊かな山すその奥にまで月の光が届いて欲しいと望んだ。
差し込んだ月の光に映し出された美しい仏像を眺めている。
微かな記憶。
いつの間にか、私は眠りに落ちていた。
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