短編小説『恋するオジサンの憂鬱』
香田美月を別に避けているのではないけれど、会合があったりして時間が合わない日が続き、彼女と一緒になるいつもの電車に乗らなくなった。
いや本当は、自分の中で言い訳を作って避けようとしているのかもしれない。
すっと頭の中に、「お父さん」と呼ばれたことが気にかかっていた。
「お父さん」
確かに親子ほど離れた年齢差があるから、親しみを込めて自然に出たと思うがその一言が私を絶望の淵に追いやってしまっていた。
男と女の間に流れている川は渡ることができるが、親と子の間に流れている川は渡ることができない。
いや、それは絶対に超えてはならない領域なのだ。
「お父さん」と呼ばれた瞬間から、香田美月は、私の手の届かないところに行ってしまった。
キャンドルの明かりに浮かび上がった彼女の横顔。
天使のささやきに似た澄んだ歌声。
向かい合って歌を聞いていた時の大きく見開いた瞳。
闇の中に佇み、深々と頭を下げる姿。
「お父さん」と呼ばれたことの認識を高めるほどに、それらの残像が逆襲を仕掛けてくる。
それらの記憶を全て理性という厳格な囲いの中に押し込めてしまわなければならないのか。
その苦行の思うほどに香田美月のことが頭から離れない。
彼女のことをもっと知りたい。
彼女のことを思うと胸をかきむしりたくなるような焦燥感に襲われる。
この感情は何だ。
世界中の若い人誰もが一度は罹るだろうあの病。
私には、十分な免疫もできているはず、ましてやこの歳になってあの病には罹るはずはない。
否定するほどに、あの病に罹った時の状況が蘇ってしまう。鼻の奥がツンとして息が苦しくなる。
微熱に侵される。
徐に駆けだしたくなる。
ああ、それはまさしくあの病だ。
いや、そんなはずはない。
絶対にそんなことをしてはいけない。
香田美月に恋愛感情など抱いていない。
否定するほどに、胸が苦しくなる。
何故だ。
香田さんが「お父さん」と呼ばなければ、こんなに心を乱さなくてもよかったのだ。
それさえなければ、彼女の余韻を楽しむことができたのだ。
最後の一言で崖から突き落とされた。
彼女から突き放されることで、大きな亀裂があることを知った。
その亀裂が広がって行くほどに、彼女に恋い焦がれる。
やはり、この歳になっても、あの病にかかってしまうのだ。
木曜日、社内ポータルで総務部から頼んでいたスターダストレビューのコンサートのチケットの送付の案内が来た。
送信者は香田美月だった。
用意が出来たので本日、社内便で届けるという内容だった。
よく見ると本文の下に大きな空白があって、何やら文字か書いてある。
フォントが二回りほど小さくなっていて読みづらい。
「お父さん」ではなくて、「オトーサン」か。
香田さんはあの時、親しみを込めて「オトーサン」と呼んでくれたのか。
「お父さん」は、親子の関係であり、血縁関係以外の関わりは一切排除される。
「オトーサン」は、それとはまったく対極にいる。
「オトーサン」は、単なる記号に過ぎない。
記号としての「オトーサン」は、親子関係の厳密な束縛から解放された自由な表現なのだ。
それは、年上の男性に対する親しみを込めた呼称なのだ。
「そうだったのか、ああ良かった」
同時に、あの病が増々私の中で繁殖していくのが分かった。