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雑考・日記・メモ「生活・暮らし・在り方」
メモの前のメモメモ「生活・暮らし・在り方」
「生活と暮らし」と、「存在論」を分けるべきだ言うと、それは違うという人が多い。しかし存在を問うていくと、生活や暮らしを破綻させる在り方に赴いていき、暫定的にせよそれを「然り!」と答えざるを得ない時がくる。この答えはだから暫定的であるのだけれども、暫定的であってもそれは、生活と暮らしに支障をきたす。だから意識的に「生活と暮らし」と「存在論」を分ける必要がある。そして生活と暮らしが存在への問いかけと隔てられることによって、存在への問いは、問いをさらに継続する事が可能になる。生活と暮らしなしに生きてはいけず、生きていけなければ問いは継続出来ないのだから。だから「生活と暮らし」と「在り方(存在論)」は分けるべきだと考えます。「存在」を哲学として徹底して問う為にも。さらに言えば「生活」と「暮らし」も自覚的に弁別する必要は、これはまた別の議論のステージになるけれども、十分議論されるべきだと思います。
2021年 岡村正敏