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哲学・日記・メモ 「リアリズム絵画を描くという事・見るという事」

リアリズム絵画を描くという事・見るという事

●写真の様な「リンゴの絵」がある。そういう写実的な絵画制作を志向する画家の群もいるし、そういう絵画の鑑賞を愛好するコレクターも多い。では写実志向の画家と鑑賞者は、写実絵画に何を求めているのだろうか?
●リンゴがある。画家はリンゴをそっくりそのまま描きたいと思い筆をとる。そしてそっくりそのままを写し取る。しかしそれは何か違うと思う。表面的に写し取っただけではリンゴそのものを描いたことにはならないのだ、と考える。そうして画家はリンゴの本質を描こうとしたりする。それは抽象的なリンゴになったり、元型的なリンゴになったりするのであるが、本質を描こうとする事には変わりがないのであろう。
●これは鑑賞者の側にも同じことが言える。
実物そっくりに描かれたリンゴを前にして、その表面的な違い無さを求めて鑑賞するだけでなく、描かれた作品にリンゴの本質を求めているからである。
●しかし本当だろうか?
本当に画家も鑑賞者も、リンゴの、リンゴそのものを描き、リンゴそのものを表面としても本質(抽象的本質・元型的本質)としても求めているのだろうか?
●私は違うと思います。
画家が本物そっくりにリンゴを描こうとする動機は実は「本物を描こうとすることで本物との違いを求めている」。鑑賞者も同じです。「本物そっくりな絵画を見る事で本物との違いを見ようとしている」。
●画家はあるがままのリンゴを前にして「あるがままのリンゴを見ることが出来ない事を描こうとする」のだろうから。
●鑑賞者はあるがままのリンゴを前にして「あるがままのリンゴを見ることが出来ない事を見ようとする」のだろうから。
●つまり本物と偽物との違いを生じさせている、その間隙を描こうとするし見ようとするのだ。
本質と現象の間隙を描こうとするし見ようとするのだ。
●本物と偽物、本質と現象をピタリと重ね合わせる事を求めているのではないし、この二項対立をいかなる意味でも解消するような「根源」や「原初」を志向しているのではない。
●リアリズム絵画を制作するという事とそれを鑑賞するという事は、つまりそういう事なのだと思うのです。

2021年9月21日 岡村正敏

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