【はじまりはここから①】山岳部に入部する?
(カバー写真はミズバショウ)
はじめにー
これから記してゆくことは、日記を基にしたノンフィクションではありますが、老化による記憶力の衰退のため、やや脚色されていることを、また、もし、不明確な点や誤解がありました場合、他の記事同様に、その責任は私にありますことをご理解ください。
◇
ぼくたちが高校山岳部に入部した際、その新人は8名もいた。
なぜ彼らが山岳部に入部したのか、今では覚えていないし、ぼくも含めて、山が好きだからなんていう純粋な動機や理由もなかったように思える。
4月10日(木)
授業がスタートしたけれど、自己紹介などで終わってしまう。4時限目に体育館で部活動紹介があった。なにせ30くらいあるのだから、すごい。
4月11日(金)
一部活加入制の高校では、部活動紹介を兼ねて仮入部というものがあった。ぼくはもともと小学生から続けている剣道をするため、この高校に何とか進学したようなものだったから、剣道部に入ることに決まっていた。
仮入部くらい違う部活を見てみようと、ふらふらしているとき、ある3年生の教室の中にブルーのテントを張っていた山岳部があった。
本体のテントはオレンジ色のようだ。
3名くらいの先輩たちがニヤニヤしておられる。
顧問先生から
「山岳部では、イワナの産卵が見られる」
と、魅惑の発言があった。
当時のぼくはサケ科に興味があり、将来はさけます孵化場に勤めたいと希望していたほどだから。
案内された部室は、一年生棟玄関そばの階段下だった。ひどく狭く、暗く、汚く、灯油の染みた匂いがした。
女子の先輩たちが4〜5名もおられる。
理由はわからないが、どうやら山岳部には3年生はいないようだ。
ぼくは入学後、M田君とすぐ仲良くなった。
同じクラスで、席が近かったせいもある。
「うちは薬局だからアレが必要なときには、いつでも言ってくれ」
なんて、思春期のぼくたちにとって大人びたことを清々しく言うのであった。
4月12日(土)
身体測定の日、身長168.2cm、体重50kg。
いまの頭髪は、先月まで剣道をしていたので、坊主から少しウニ状態といったところ。
仮入部をすると、先輩たちがトレーニングに連れて行ってくれた。ランニングして向かったのは、
がんぼう岩。高さ80m。
街を一望する、自○の地としても有名であるので、とても行くのが怖かった。
森の階段3往復、腕立て20回、それだけでキツかった。それほど基礎体力がない。
さらに、頂上の岩のヘリから真下にいる先輩たちに声が届くように、新人1人ずつ大声で歌えというのである。
相変わらず先輩たちはニヤニヤしていた。
ぼくは足がすくみ、気が遠くなり、立ちくらみそうだった。仲間とどんな順番にしたか忘れたけれど、最初でも最後でもなかったような気がする。
サザエさんを大声で歌った。
這いつくばって遥か80m下を覗くと、先輩たちが腕で大きく丸を描いていた。
根性試しだったのかわからないけれども、こんな恐ろしい部活には入らないでおこうと思った。
ほんとうに恥ずかしいくらい時代遅れの田舎だった。
通学列車に乗るときには、どんな先輩方へも
「チョウ」(低音で)
立ち離れるときには
「シテイ」(低音で)
と、挨拶をさせられるほどだった。
中学時代もひどく荒れた校風だったけれど、高校に入ってからも上下関係は厳しかった。
石北本線の白○村組は、通学列車の車中で、両側の荷物網の上を競争して這わされたらしい…
さらに4月のある土曜日午後、顧問先生がワンボックスカーにみんなを乗せて、トレーニングに連れて行ってくれた。車種名はキャラバンだ。
後部座席は取り外され、木製ボックスに群青色の絨毯みたいなものが敷いてある。この方が生徒も荷物もたくさん乗せられるようだ。
話を戻すと、顧問先生は2人おられる。
理科(物理化学)担当しているK先生が主体で、学生時代から登山を精鋭的にしていたようだ。
黒縁メガネで少し神経質そうだが、生徒放任主義の様子。頭頂部を少し気にされている。
第一印象は、声のいい人だなあと思った。
お酒に例えるなら、ジョニ黒。
英語を担当しているH先生はサポート的な立場で、特に女子部員の担当、パジェロショートの白色に乗っている。明るくアメリカンな爽やかさだ。
やっぱり黒縁メガネだが、髪はさらさらだ。
お酒に例えるなら、バドワイザーかな。
さて、向かったのは、高校から車で15分ほどにある薬師山というところだった。山の西側に登山口がある。雪解けの水たまりにはサンショウウオの卵がたくさんあった。
この山は、螺旋状に道が上へと続いている。
八十八ケ所の霊場でもあるらしく、〜そわか、とお地蔵様が点々とある。
O君が、〜そわかににわかに興味を持ちはじめる。
巨木もなく、だからといって禿山でもなく、明るい林といった雰囲気の山。
若葉さえない季節だから、当然の印象だろう。
頂上までへたることなく、ぼくたち新人はたどり着いた。八十八ケ所目の金色のお地蔵様がある。
標高374m、ぼくにとっては、初めての山だった。
川がつくってきたわずかな平野など展望はまあまあある。
なんと、そこで顧問先生は、先輩に背負わせていたザイルを取り出して岩場を降りるトレーニングをするという。
ザイルを肩がらみして、一人ずつ、10m(5mくらいだったかも知れない)を懸垂下降(けんすいかこう:名前は後で知りました)をした。
そんな紐に身体を預けることなんかできない。
そのときの恐ろしさも忘れない。
おそるおそる紐に身を預けた…
絶対に山岳部には入らないと誓った。
ぼくには故郷からの先輩たちも待っていてくれる剣道部があるのだから。
「うちの村の辺りの畑を掘ると、骨が出るんだ」
M田君が言っていた。
怖い話だな…と思って聞いていたが、それは道路開削の犠牲になられた方々のことだと学ぶことになるのは後年のことである。
薬師山は、慰霊の山でもあったのである。
今思えば、話題豊富で明るいM田君が、新人を本入部させてゆくムードメーカーになっていったような気がする。
高校生くらいの年頃は、何に溺れるかは案外偶然的な要素が大きいのかも知れない。
そう、ぼくたちは山に溺れてゆくのである。
こんな感じで続けていく予定です。
いつまで続けられるかわかりませんが…
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