“ここじゃないどこか“症候群
私たちは「自分との向き合い」というものを始めると、自分は“ここじゃないどこか”にいるべきなんじゃないか、という想いに駆られることが往々にしてあります。特に向き合いを始めたばかりの頃など、そんな感覚が湧き起こるかも知れません。
私も例に漏れず、“ここじゃないどこか”症候群に罹患していました。瞑想時に思い出したヴィジョンのひとつに、どこか海外にある見晴らしのいい高台、芝生が広がるその敷地のなかで、老若男女、さまざまな人種の方々と共に語らい合う、そんな一幕が見えます。お互いの叡智をシェアし合う、そんな場にいる自分が視えてから、私は「いち早くその場にあることができる自分でいなければ」という大きな焦りが生じていったのです。漠然と感じていた“ここじゃないどこか”が、やっぱり“ここじゃない”という感覚へと増幅され、未来への焦りによって「いまここ」に繋がることを阻止していくような感じがありました。その後、クラニオ・バイオなど各種ボディワークやヒーリリング、瞑想など、さまざまな体感を通して“今”に繋がることを取り戻していきました。
私たちはただ、自分たちの内的世界を外の世界に投影しながら生きています。未来への不安や焦りという感覚を抱えながら現象化することは、それらを満たしてくれる何かではなく、不安や焦りを助長させることしか生み出されません。
“ここじゃないどこか“症候群に罹患されているとき、私たちは自身の内的世界を自ら現象化していることに気づかず、現象化されている現実の被害者である、という認識のなかで生きています。そんなとき、あらゆる外の世界が加害者でもあるかのように、行動や選択をしてしまいがちです。「好きなように働けないのは会社員であるせいだ」「自分の時間がないのは家族のせいだ」「同僚や仕事仲間の意識が低いせいで事業にスピード感がない」「身体が万全ではないから仕事ができない」「上司が理解してくれないから給与が上がらない」「お金がないからやりたいことができない」など。そして思うのです。現実的な問題が起こるのは、自分がここにいるべきではないから、なんじゃないか、と。そして不安や焦りといった動機のもと、会社を辞めてみたり、家族と別居してみたり、仲間と距離を置いてみたり、といった行動に走りがちです。果たしてそれで“問題”は解決されたのでしょうか。
不安や焦り、嫌悪、恐れなどのネガティブな感情の動機のもと取った行動は、すべてその感情を増幅するような現象として自らの身に返ってきます。根底にある不安や焦りはなくなることなく、たとえあらゆる環境を変えたとしても、私たちは別の場所で同じことを繰り返します。別の人間関係で、別の仕事で、別の環境でそれらを繰り返します。なぜなら“学び”を終えていないからです。
“学び”とは何か。私たち自身が世界を創造しているということに気づき、自ら意識的に意図して世界を創っていく。そのことに深く気づいていく、というプロセスが学びです。
“ここじゃないどこか”症候群は思考の罠みたいなものです。誰もが罹患しやすいものです。もちろん時に逃げ出してもいい。距離をとってもいい。けれど根底にある苦しみに目を向けずに、別の環境に逃げたとしても同じカルマを繰り返すだけなのです。私たちは、そろそろそのことに気づき、私たち自身の行動や選択の裏に潜む、深い動機、感情が伴う本音、意識状態に目を向けるときがきていると感じています。
『holos.QUANTA』という精神世界を体感するプラットフォームでは、来月以降、そんな気づきのサポートとなるようなコンテンツを増やしていく予定です。大切なのは、自ら気づいていくこと。自ら思い出していくこと、です。誰かにアドバイスやヒントをもらうこともいいけれど、最終的には自ら感覚的に目覚め、体感や体験を通して腑に落としていくこと。その先に私たちが苦しみから本来的に解放される、とても豊かな世界が広がっていると信じています。
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分離という幻想から繋がりのある世界へ。
そろそろ本格的に歩みを始めてみませんか。