No.748 虹を見る人、虹を見た人
冬が来ると、このコラムのことを思い出すほど心に残ったお話です。
お天気キャスターの草分け倉嶋厚さんは、気象庁の職員として札幌に勤務していた頃、次の一句に出会った。〈冬憶ふまじ今紅くナナカマド〉嶋田摩耶子◆小春日和を詠んだ句だろうと解釈した。季節がそこに向かうのが分かるからこそ、小春日和にさみしさがよぎるのだと。倉嶋さんはのちに88歳となり、本紙寄稿にも先の句を引いて解釈を加えた◆〈どんな人も人生の冬に向かっている。それに備えてその日その日を一生懸命過ごせば心は安らかでいられる。そういう生き方を教える句でした〉。晩年病気に苦しんだ倉嶋さんの亡くなる5年前の文章である。小春日和に感じるように少しさみしいと思う程度にして、つらいことばかり考えるのはよそうと聞こえる◆先頃、厚生労働省の「人生会議」のポスターが話題になった。〈俺の人生ここで終わり?〉とお笑い芸人が顔をゆがめ、悲壮感をほとばしらせ、終末期までにあらかじめ家族と医療やケアの方法を相談しておこうと呼びかけるものだった◆「人生会議」の意味は分かる。ただし、冬の気持ちの分かる職員に普及促進を担当してもらいたい。
2019年(令和元年)11月30日「讀賣新聞」朝刊のコラム「編集手帳」です。私も敬愛する倉嶋厚(大正13年生まれ)さんは、73歳の時に最愛の奥さんの死をきっかけに強いうつ病にかかり自殺願望までしたそうです。2017年、93歳で病没しました。
春のままで夭折した人もおられますが、誰もが人生の冬に向かっている、その通りだと思います。命の終わりという厳粛さを揶揄して歓心を買おうという浅ましい頭でっかちのエリートたちにコラムの筆者は猛烈に怒ります。これをこそ「良心」と呼びたいと思います。他山の石として、生きたいとも思います。
倉嶋厚さんの言葉に、大好きなのがあります。
「日の差す方角ばかり探している人に、虹は見えないのです」
人は誰でも光のある方や上の方にばかり目がいきがちです。上昇志向を否定する者ではありませんが、その光の反対側に、誰も気づかない幸運や喜びや見落としがちな感動があるのだというのでしょうか。あのお役人は、「虹」を見損なったのかも知れません。
「冬虹の弧の中に木を伐り倒す」
柴田白葉女(1906年~1984年)
※画像は、クリエイター・Hiromasa Uiさんの「free untitled」をかたじけなくしました。きれいな虹です。お礼を申します。