No.1166 節度ある盲目
俳優の沼田曜一(1924年~2006年)さんが、大分芸術会館で「民話の世界」と題して魅力的なお話をしてくれたのは、氏が76歳のときのことでした。
沼田さんのお話は、「語り部」と呼ばれるに相応しく、身も心も魂が乗り移ったのではなかろうかと思うような迫真の表現力、絶妙な間、しびれるような太い声です。いくつかのお話の中に「餅を握りしめて走る女」がありました。こんな内容でした。
今でいうなら、女はストーカーまがいの行為行動です。初めこそ心憎からず女を思っていた若者でしたが、毎晩、山を五つも超えてやってくる女に人間以上の魔性を感じてしまいます。そして恐れをなしてしまうのです。そんな男に、女はこう訴えます。
しかし、その女に人間を見出せなくなっていた男は、恐れ以外の感情を持つことは出来なくなります。愛しい男に会いたい一心だった女の情念のすごまじさが、却って男をビビらせ、震え上がらせました。そして、ハッピーエンドどころか、悲しい結末を迎えました。
この民話は、何を伝えたかったのでしょう?手に握りしめたもち米が餅になるという思いの深さとその時間の長さは、女にとって幸せに向かう道行きの時間だったように思えます。一方的に好かれた男にとっては、重すぎる女の気持ちが、ありがた迷惑だったのでしょうか?「気持ち」という「餅」を二人が美味しく食べられるようになるために、大事なことをこの民話は伝えようとしているように思いました。
赤いつつじは、男を愛する女の流した血の象徴のように語られていますが、その花言葉は「燃え上がる想い」や「恋の喜び」だそうです。また、つつじの花言葉は「節度」「慎み」でもあると知りました。
情熱的で一途な女性の偽らざる愛は、まさに「燃え上がる想い」や「恋の喜び」だったと思います。しかし、彼女に、もう一方で「節度」や「慎み」があれば、男に誤解されたり疎まれたりすることもなかったのではないかとも思うのです。
民話は黙して語りませんが、一見矛盾するような「節度ある盲目」についても勧めているのかも知れません。
※画像は、クリエイター・スナフさんの「つつじ」の1葉をかたじけなくしました。赤いつつじを見るたびに、悲しい女の民話を思い出し、祈りたくなる思いに駆られるのです。お礼申し上げます。