No.410 大きな景色の心温まる一茶の俳句
何年も前から秋の頃に書きたかった話を、今頃になって書いています。
「けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ」
(北国オロシャから長く苦しい旅を経て、ようやくたどり着いた。もう今日からは、日本の領土、日本の雁になったのだから、ゆるりと安心して寝るが良い。)
江戸時代後期の俳人小林一茶(1763年~1828年)の大好きな一句です。昨日とは違う、今日からだとする「判別指示」の助詞「は」や、日本で安らかに生活できることの有り難さや素晴らしさを強調する助詞「ぞ」が効いています。何と言う胸のすくようなスケールの大きさ、そして、日本人の心の優しさの詰まった句でしょうか。澄んだ秋空に似合う、一茶の生き物に対する清澄な目が思われてくるのです。
雁は、繁殖地のロシアから、はるばる日本にやってきます。北極圏に近く、夏が極端に短く、8月下旬には降雪があるといいます。生活の場の湖や沼が、雪や氷に覆われてしまうと生活ができないので、日本に越冬をしにやって来るのです。その雁たちが渡る経路として、ある解説では、
「繁殖地(ペクルニイ湖)→カムチャッカ半島→北海道→秋田県→宮城県等々、飛行する距離は4,000kmにも達する」
とありました。生活のため、生きるためとはいえ、途中で息絶える者も、思わぬ事故に見舞われる者もあるでしょう。危険で命がけの旅路を、彼らは選ぶのです。
そのことは、「辺秋、一雁の声。」で始まる深代惇郎の名コラム「天声人語」(朝日新聞、1973年9月16日朝刊)に「雁風呂」として知られます。ご一読願いたい、惚れ惚れするようなコラムです。翌年のサントリーウイスキーのCMで、山口瞳も紹介しています。雁たちの旅路の厳しさだけでなく、日本の漁師たちの心ある振る舞いにも和まされるお話です。
この句が載っているのは、『株番』という一茶の俳書です。一茶が1812年(文化9年)1月~1813年(文化10年)末にかけて下総、江戸、信濃を旅行したときの連句、発句、随筆などを収めたものだと言われ、一茶が50歳頃の句だそうです。ところが、「今日からは」の句は、青森県津軽湾沿岸青森の外ケ濱に降り立った雁を詠んでいるのに、その直前は軽井沢での句です。何とも違和感のある並び方なのです。時間軸だけではなく連想の飛躍も配列に加えられているのかも知れません。
一茶は、1789年(寛政元年)27歳の時に東北地方への長旅に出たことが知られています。しかし、東北行脚の詳しいことは分かっていません。この時の青森行の折の句なのか、それとも別の機会に訪れた時の句なのか、歌ばかりが有名で、背景が判然としない句なのです。どなたか教えて頂けたら有り難く思います。
さて、われらが日本にやって来た雁たちは、思う存分この国の冬を、食べ物を、生活を満喫してくれていることでしょうか?「帰雁」とは、春先になって、南から北の寒い地方へ渡ってゆく雁のことで、春の季語です。今は、彼らに羽を休めてもらい、心行くまで日本の季節を味わってほしいと念じています。私のような年寄り雁がドジを踏まぬよう…。
「雁帰る一羽や遅れ定年期」(岸風三樓)