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No.365 仁の音(仁note)毎日コラム1周年

 映画やドラマは、原作を越えられるでしょうか?
小説『大地の子』(全3巻)は、作家山崎豊子が、残留孤児など1,000人以上に取材して8年の歳月をかけて完成した全3巻にわたる大作です。原稿用紙で2,200枚に及んだと言います。因みに『源氏物語』が原稿用紙で約2,400枚分だと言いますから、それに匹敵するくらいの大作だと言えそうです。

 その視点や受け止め方により、評価は様々に異なるでしょうが、私は、1995年(平成7年)に放送されたNHK土曜ドラマ「大地の子」(日中共同制作ドラマ)は、作品を映像化し、髪の毛の先から足の爪先に至るまでの心震える真実を可視化した秀逸な作品だと考えています。

 中国残留孤児(松本勝男:陸一心)と日本の実父(松本耕次)、そして中国の養父母(父・陸徳志、母・淑琴)との親子の愛を中心に、それぞれの戦後40年を壮大にかつ繊細に描いた骨太の作品です。終戦50周年にあたる1995年は、ラジオ放送開始の70周年にも当たっており、それらの記念番組として放送されたといいます。第2次世界大戦の終戦の日から、激動する日本と中国の現代史の中にあって、人生を翻弄されながらも懸命に生きる日中両国の人々の姿を、歴史をゆがめることなく希望をもって描いた作品です。私は、作家にも両国の脚本家や演出家にも、制作スタッフにも、俳優女優にも、心からの敬愛を感じています。

 さて、過日、「大地の子」(再々放送?再々々放送?)のビデオを見ていた時、養父・陸徳志の座右の銘である「志高清遠」の言葉が部屋に掲げられてありました。「志を高く持ち、(世俗にまみれずに)清らかな心で遠大な理想を持って生きる」という意味でしょうか。老教師であった陸徳志が、生徒たちに贈った言葉でもあり、彼の一貫した人生哲学でもありました。

 その養子の陸一心(松本勝男)の家の壁には「志在八方」の揮毫が掲げられていました。直訳すれば「こころざしは、あらゆるところにある」となるのでしょう。この言葉は、『三国志』の曹操(155年~220年)の詩『歩出(ホシュツ)夏門行(カモンコウ)』に載っている言葉「志在千里」に後人が発想を得たものだろうと言う専門家の指摘がありました。

 本文…「神亀雖寿 猶有竟時 騰蛇乗霧 終為土灰 老驥伏櫪 志有千里 烈士暮年 壮心不已」
 書き下し文…「神亀は寿(いのちなが)しといへども なほ終る時あり。 騰蛇は霧に乗ずるも 終には土灰となる。 老驥は櫪に伏すも 志千里にあり 烈士暮年 壮心やまず」
 訳文…「亀の中には稀にものすごい長寿のものがあるというが、それでも命に終わりはある。 竜は霧に乗って舞い上がるというが、最後は土くれになってしまう。 しかし、千里を駆ける駿馬は、たとえ老いて馬屋にあっても志は千里を駆け巡っている。 男児たるもの、年老いたからといって、熱い気持ちを止められるものではないのだ。」

 老いた駿馬は廏(うまや)に身を横たえながらも、なお千里を駆け巡る志は捨てないでいる、つまり、年老いてもなお大志を持ち続けているというたとえです。この詩は、207年に、曹操(52歳)が烏桓(ウガン)討伐に行く頃に作られた漢詩だと言われています。翌208年、曹操は、劉備と孫権の連合軍に大敗(『赤壁の戦い』)し、天下統一に失敗しました。しかし、216年に魏王となりますが、後漢皇帝が治める帝国内の王国という形で魏を建国。最後まで帝位にはつかず、後漢の丞相の肩書きで通したといいます。そして、220年に病のため死去しました。65歳の生涯だったようです。

 ということは、「志在八方」とは「be ambitious」(大志を抱け)と同義なのではないかなと思います。何度も何度も差別や偏見や身に覚えのない密告などにより理不尽な処遇を受けてきた陸一心ですが、養父・徳志からの「志高清遠」の教えを胸に、自らの不運や不幸をかこつことなく、大志を抱いて誠実にひたすらに生きました。控え目だが芯の強い妻月梅と、健気だけれどハキハキとした物言いの現代っ子である娘燕々という生きる力を更に得て…。そして、「大地の子」である自分の「気づき」を胸に、陸一心は、中国で生きることを決めたのでした。

 彼の運命的な人生に、その生き方に、何度見ても泣けてきます。そして、「お前の『志在八方』とは何か」を問われている気もしてくるのです。

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