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No.318 お手付きしたお詫びの318号
先日、318号を間違って載せてしまいました。私のそそっかしさは、幾つになっても健在です。改めて318号として、お話を書きました。
まだ、こんなに顔に皺のなかった頃の思い出話です。
ある年の1月某日、未知のご老人から丁寧な電話をいただいたことがありました。
「あなたから年賀状を頂いた方は、以前ここに住んでいたようですが、今は、私たちが住んでいます。年賀状を読んで、どんな人かなと思ったので、失礼ながら電話を差し上げました。」
という出だしでした。留守番電話ではなく、運よく、直接会話を楽しむことが出来ました。そのご老人のお人柄が、言葉の端にうかがわれ、気持ち良い一年の出だしとなりました。
私が、大好きな向田邦子さんの「お辞儀」というエッセーの中に、こんなお話があります。それは、留守番電話について語ったお話です。
「十年間に間違い電話を含めてユニークなものも多かったが、私が一番好きなのは初老と思われる婦人からの声だった。
『名前を名乗る程の者ではございません』
品のいい物静かな声が、恐縮しきった調子でつづく。
『どうも私、間違って掛けてしまったようでございますが。―こういう場合、どうしたらよろしいんでございましょうか』
小さな溜め息と間があって、
『失礼致しました。ごめん下さいませ』
静かに受話器を置く音が入っていた。
たしなみというのはこういうことかと思った。この人の姿かたちや着ている物、どういう家庭であろうかと電話の向こうの人をあれこれ想像してみたりした。お辞儀の綺麗な人に違いないと思った。」
この話は、『父の詫び状』(1978年、昭和53年)の中にある作品ですから、今から43年も前の話ですが、何とも雅な女性のたたずまいが感じられて、私の想像力のメーターは、振り切れてしまいそうです。
私のいただいたそのご老人からの電話は、ふと、そんなことを思い出させてくれる懐かしいものでした。