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私は何者か、285


みっともないこと。嘘をつくこと。ついた嘘を忘れること。または、それを本当だと言い張ること。尻から剥げ落ちてくる嘘をさらに嘘で塗り固めること。けれど、誰も知らない嘘なら、それ自体、本当のことになる。本当の嘘。誰も知らないのだから、自分すらそれが本当かどうかわからなくなる。水面の自分に笑いかけるように。自分が笑いかけるかぎり、相手も笑い続けるのである。

水面の顔には見覚えがあった。男に出会った時から確実に何かを失い続けている。それはただの時間であり、または、いのちを刻む振り子でもある。

想像して、夢にも見れば、届くこともあるのだろう。嘘について描くことが、嘘以上に嘘らしくならないように、ちょっと森を彷徨えば、うそなる鳥が囁きかける。うそとは口笛なのにと、ひーほー頬を赤く染めて鳴く。

花びらが落ちて、実が膨らんで、ぱちんと爆ける。なかから真白の綿が現れる、私は慌ててその綿を肩のあたりまで引き上げ眠ったふりをする。隣を見たら、あなたも眠っているではないか。真白の綿に包まって、眠りを貪る。嘘のような本当の夢を見るために。

秋なのに暑いとか、秋の日のアキアカネ。ホバリングするそれは秋の扉をこじ開ける。こじ開けてわかるのは、こじ開けなければよかったということのみ。時が来るのをきちんと待てば、ほら、パチンと言う音が聞こえるでしょう。綿の実は爆けた。

爆けて美味いのはとうもろこしの実、いま、パリポリとビールと共に飲み下す。香ばしいということはそれ自体いろんな意味を含む。嫌がる人は多分嘘を知っている人であろう。香ばしさのなかにあるほんとうに、気づかれまいと、ほら、また、嘘を作り、演じ、香ばしいうそをつく。

明日は有給休暇。

無給の愛を慈しむ。

ビール三昧の今宵、なにも考えずとも身体は呼吸し、永らえる。


嘘をつくとは巧みなる。


演じる我はなんのため。

嘯く我は誰のため。


口づけるとき、邪魔する鼻の頭は、いつしか消え。


私は何者か。


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