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あったとしたらの人生を想う

今日の精神科通院でパグLove先生とお正月について話をして来た。

先ず、母上との初喧嘩は大変良かった模様で驚いた。
これがいわゆる普通の反抗期での当たり前らしい。
…魔の2歳児と言われる反抗期も中高生の反抗期も何一つ無かったアタイ。
今年40歳の反抗期、始めました(笑)
…いや、多分もう大きな対立はしないだろうけども。

そして母上に対する不安感は的中っぽいので、早目に母上を脳外科受診と市役所で出来る限りの支援策と介護か看護の訪問の組み立てを始めようと思う。

週一回でも30分訪問して頂いて、他者との会話&自宅の掃除を誰かにお願いした方が衛生面で安心だ。

アタイは先月毎週行ってみたが、アタイの体調不良に繋がる為、アタイが毎週は現実的に良い事では無い。

介護は兎に角、老い行く相手と自分を上手く守りつつ行わないと、親子間での虐待や介護との共倒れになりやすい。

アタイに見えるのは共倒れ。
(現にたったの3泊4日でアタイは眼の調子悪化で今日の外出はサングラス使用、身体の浮腫で節々痛み、母宅での便秘による水戸様の負傷手当必要状態)

しかし、母上に対しては話し合える感覚と、お互いへの出来る事の確立に一歩一歩状態な為、まだ良い。

今日、パグLove先生との会話の肝となったのは父上だった。

先生もアタイから聞く父上の行動に少し驚いた感じだった。

それ、今用語で虐待って言うし、そりゃ境界性パーソナリティ障害になるわなぁ~と、苦笑されて2人で笑ってしまった位。

そして先生は1つの投げかけをアタイにした。

どうしてそんないい子をお父さんは嫌いになったんだろうね?

アタイは父上に嫌われていると言う感覚に気付いて居らず、咄嗟に父上が職場では職場のお父さんとしてアタイも納得していたから、そーゆう距離感かと思って居ました。

と、そこで父上が重度心身障害児者施設の施設長で、アタイの住む地域フィルタの知的障害の方をメインとしたB型事業所や様々な方に合わせたデイサービス、居住地作りに貢献した方であるのは2人で確認。

ある意味、それでのアタイは犠牲者でもある、と。

しかし、多分、それ以上の何かがあるのをまた来週となった。

そこで帰宅しながら考え続けていたのが、父上のあの言葉達はアタイへの嫉妬からだったのでは?
に、辿り着いた。

アタイは幼い頃から言葉も耳にした物をペラペラ話すタイプで幼稚園入試前のIQ検査は140をこえたらしい。

ピアノも幼稚園児のアタイに父上はどんどん離された。
そして父上は音楽に挫折して保育士では無く、新しく出来た社会福祉士に早々になったのだった。

父上はそもそも施設に入社した時、普通に大卒だった。
しかし、現場ではただの大卒より医療や保育の資格の方がどんなに頑張ってもお給料から手当からが違う。
その為、父上は保育士から始めたのだった。

アタイは何かをやらせても器用貧乏の名の通り、一応こなすが、飽きるのか?超絶な所迄は行かなかった。

1番長く続けたのは水泳で2歳~高2迄。
小学4年生から競泳でガンガン泳いだ。
でも、関東大会迄は行っても全国や国体、世界選手権みたいのには手が届かなかった。

次に続けたのはピアノで1歳半~中学卒業迄。
教本系は終わらせ、コンクールに向かった時もあったがら小学校時代に一時期合唱団でコンクールの為に歌う練習もした為、やはり音大やコンクールでも関東大会迄は行っても大きな所や賞には届かなかった。

茶道、華道、日本舞踊、バレエは長く続けられなかった。
茶道→行くとお抹茶で腹壊す→嫌になる。
華道→お花によって手が荒れる→嫌になる。
日本舞踊→行くとアトピーからの顔やらの酷さへの人格否定みたいのが毎回ある→嫌になる。
バレエ→一人同学年代より身長が高く顔の大きさと可愛さの違いに毎回凹む自分が居た→嫌になる。

小学校時代、地域のバレーボールには時々背の高さを買われてアタッカーとして練習や試合には入ったが、手と腕が痛くなるので本業とはしなかった。

学業系は塾には個人の先生にもついて頂いたし、個人指導のある塾に幼稚園~高校卒業迄お世話になった。

英語をアタイは小学校に入ってすぐに始めた。
多分、これが父上の1番のコンプレックスを刺激した気がしてならない。

父上はアタイが塾から帰ってきたら酔っ払いながらよく
俺は英語のリスニングさえ良ければ早稲田に入れた。
英語は中学から学んだ時、田舎だったから発音の勉強なんて日本語と同じでディスイズアペンだった~
と、よく苦笑しながら言っていた。
(そしてこの発言は荒れる合図でもあり、アタイは気を張ったのを覚えている)

アタイの生まれ持った個性+脳みそが聴覚からの受け取りが強いタイプであり、加えて幼い頃からの刺激の多さの違いが父上とはあっただけ。

でも、父上は自分が未だ10歳にも満たない娘に自分のコンプレックスを刺激されたのが余程悔しかったのかもしれない。

あと、最後の打撃をアタイはやらかしたのが、父上が社会福祉士の資格を取る勉強中、一緒にアタイも同じテーブルで学校の夏休みの宿題をしていた時に、父上の論文の漢字の間違えを指摘してしまったのだった。

父上は逆上?大炎上?して、テーブルの上にあった花瓶をアタイに投げ付け、アタイの宿題のノートをぐちゃぐちゃに破り、父上はあの時どうなったかは、自分が短パンを履いていた為に太腿を割れた花瓶がスラッシュして血が流れていたのと、宿題のノート、学校の先生にどう言えば良いかに頭が動いていてその先はよく覚えて居ない。

夏の間にノートは母上が新たにアタイへ渡して下さり事なきを得た。
太腿の傷は今も斜めに残って居る。

アタイは余計なお世話を父上に働いたから、散々嫌われても仕方ない気がしてくる。
大人で親とは言えども、父上の傷にアタイは塩を塗りたくった様なものだ。

そこで父上が不機嫌になれば母上にあたる。

全てアタイが原因悪だったのかもしれない。

過去の事だし、アタイも小学校の2~3年の時迄の事な為、よく全てを把握も何も出来なかった。

子どもの頃、兎に角1日が24時間では足らない感覚だった。
やらなきゃならない事ばかり、自分でも興味のある事山盛りで。
人生とは忙しいと、日々がもっと遅くなるか1日が48時間位になれば、満たせるのに!
と、思ったりしていた。

親が親自身の気持ちをコントロール出来る人で、アタイと言う人間の尊重をしてくれる方だったら、アタイが境界性パーソナリティ障害にならずに済んで居たら、アタイは親が期待した何かを成し遂げる人になれたのだろうか。

親から大器晩成、最終的にウドの大木、キチガイ娘と言われずに済んだのだろうか。

アタイには全てがタラレバでしか無い。
故に来週パグLove先生の見解と視点を聞き、今後のアタイの心の方針を導けば良い。

今、ちょこぴっと昔を思い出して切ない気持ちだ。
子どものアタイが目の前に居たら、アレルギーを自分でケアして偉いって超絶褒めちぎって抱きしめてあげたいし、身長あっても目つきが狐系だろうが洋服着こなしてLIVE行く姿を可愛い可愛い~って褒め称えたい。

あの頃の自分は愛されて居なかったから、惨めな気持ちにしかならない写真の全てをアタイはこっそり捨て続けた。

その為、アタイの写真を母上は2枚しか持って居ないし、父上に至っては、アタイがやり遂げていれば1枚も残さずに来れた気がしている。

アタイ達親子、違う人生があったら今を一緒に過ごせているのだろうか。

取り敢えず今分かって居るのは、血の繋がる家族だろうが一緒に居ない方が幸せな人生もあるって、その真実がある事だ。

地球上の人間、一人一人の人格も人生も生活も違って当たり前。
人の生き方を縛る方がおかしい気がしてしまう。

一緒に居たければ一緒に。
けれども子どもは一人では生き抜け無いので、その子が学びたいを終わらせ稼ぐ段階迄は大人が、もしくは社会がきちんと必要な物事を提供し続ける大事さがある。

その子どもが持つ何らかの種の芽を伸ばす役割りが大人と社会の役割り。

しかし、それにはその大人と社会の心身が無事である必要がある。

全てバランスなのだろうな。
今日はそんな事を考え続けました。


ここまでお読み下さり有難う御座いました。
三賀日が過ぎるとあっという間に日常~な感じですね。

あと3日で七草粥。
関東ではお正月明けな感じです。
皆様はいつ頃がお正月明けを感じますでしょうか。

アタイは七草粥か小豆粥を頂いてちょいと身体に春が来るぞ~と、伝える予定です。
(要するにだらけ続けると薄着の季節、大丈夫か~?の、警告ですꉂ🤣w‪𐤔)

今夜も満ち行くお月様が綺麗です。
明日も皆様の道が、心身共に守られますように祈っております🍀✨
感謝を込めて😸💗

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