「頑張る」ことをやめた日
子どもの頃は、頑張ると褒められて
頑張ってさらに結果がついてくるともっと褒められて、
逆に、頑張ってないと「怠けている」と捉えられ、怒られたり、「もっと頑張れ!」と応援されたりもする。
子どもの頃の私は、人一倍頑張り屋だったと思う。
褒められ、認められることに価値を感じる、承認欲求の高い子どもだった。
試験で1番をとりたくて徹夜で勉強するのは当たり前。
特技の書道で賞が欲しくて、数日の練習期間で1000枚以上の半紙を消費するほど練習にのめり込んだ。筆を持ったまま寝たこともある。
親が特別厳しかったわけではない。
誰に強いられたわけでもなく、勝手に自分がそうしていた。
そんな経験から、
・頑張ることは良いこと
・頑張らないと認めてもらえない
・頑張らないと仲間に入れてもらえない
といった思い込みが私の中に刻まれていた。
*
大人になると、頑張りだけでは通用しないことがわかるようになる。
体力的な衰え、有限の時間、職場や家庭など様々な顔の使い分け、
自分の限界を目の前に突きつけられ、もう、とにかく「頑張る」だけでは追いつかない。
それなのに、子どもの頃から「頑張る」癖がついてる私は、無条件に頑張る方向に舵を切りがちだ。
ちょっと体調が悪くても、
本当はあまり気が乗らないことでも、
頑張って、必死に対応していく。
自分を大事にすることを忘れて、
自分の心の声を無視して、
根拠のない「〇〇でなければならない」にとらわれている私は、いつも息切れ寸前だった。
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実は、私は過去に、心身の調子を崩して休職したことがある。
「頑張った結果がこれかよ!!」
当時の私は、相当なダメージをくらっていて、身の回りの全てに失望していたように思う。
今以上に頑張ることにとらわれていて、
頑張らなきゃいけないと思い込んでいて、
完璧でない自分を許せず、
どんどん自分を追い込んでいた。
そして、気づけば「頑張る」ことが「無理をする」ことに繋がっていた。
「心と体が悲鳴を上げるまで頑張らなければいけないことって何だろう?」
休職中、頑張る対象を完全になくした私は、湿気がこもる薄暗いワンルームの部屋の中で、一人失意のどん底にいた。
今まで正しいと思っていたことが通用しなくなった失望感は、私の心をひどくえぐった。
しかし、いつまでも沈んではいられない。
「今、考え方を変えないと、自分で自分を完全に潰してしまう。」
そう思った。
***
半年近く休職した後、私は復職した。
いろいろな人に「無理せず、ゆっくりのペースでいいからね」と声をかけてもらった。
ありがたいと思った反面、甘やかされているような違和感が気持ち悪かった。
この違和感は、頑張り癖の後遺症である。
「あぁ、今自分が変わらないと、きっとまた休職するだろうな。」
直感的にそう思った。
そこで、私は自分に約束をした。
「頑張らなきゃ」という考えが頭をよぎった時、次のように自分に必ず問いかけること。
「私、無理してない?」
「それは、本当に、今、私がやりたいこと?」
「今の私は自然体?」
自分を大事にする訓練である。
頑張ることしか対応方法を知らない私にとっては、少し難しいことだった。
でも、自分の心に素直になって、無理をしなくなったことで、良い意味で人が近寄ってくるようになり、
仕事もプライベートも不思議とうまく回るようになった。
助けてくれる人も増えた。
きっと今までの私は、頑張ることに夢中で張り詰めており、かなり緊迫した空気を纏っていたのだろう。
酷い顔して、ひたすら「頑張る」ことに固執し、周りの人々を寄せつけなかったに違いない。
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まだまだ不慣れだけれど、自分を大事にし始めたら、笑顔でいる時間が増えた。
そして、心も軽く、穏やかで、何気ないことに幸せを感じられるようになった。
周りの人の表情もよく見えるようになった。
私が笑顔だと、周りも笑顔だ。
頑張ることをやめた日、
私は自分のことを少しだけ好きになれた。
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