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春の記憶は、生きてきた証

雲ひとつない透き通った青空に、ふんわりと柔らかい風。
春の気配を肌で感じると、懐かしさだったり輝かしさだったり希望だったり、なんともいえないエモーショナルな気持ちになるのはなぜだろう。


今朝、ベランダの窓を開けて観葉植物に水やりをしていると、ふんわりと春風が部屋に入り込んできたので、早々に水やりを終わらせて散歩することにした。


自宅周辺の住宅街をのんびり歩いていると、自分の中に眠る思い出が次々と蘇ってくる。

イヤホンをつけてSpotifyを起動し、「春のプレイリスト」をえらぶ。レミオロメンの3月9日やアジカンのソラニンが流れてくると、高校卒業の頃を思い出す。
卒業式が終わったあと、学年全員で円陣を組んでブルーハーツを歌ったこと。大学進学と浪人生活という違う道を歩むことになった当時の恋人と別れ話をしたこと。東日本大震災の募金活動を有志で行い、色んな人に感謝されたり批判されたりしたこと。


交差点を渡って中学校の前を通ると、テスト用紙を握りしめながらあの答えはマルだとかバツだとか言い合っている。そんな男子中学生4人組をみて、思わず当時の自分と重ねる。
ライバルだった友人と点数を競い合ったこと。国語の読解問題で、部分点を何点もらえるのだろうとソワソワしたこと。テスト明けから始まる部活に行くのが、ちょっと面倒臭かったこと。


印刷したての証明写真を片手に、郵便局の方向へ向かうカップルとすれ違うと、転職活動に明け暮れた日々を思い出す。
ここしかないと思って入った会社を、あっけなく退職したこと。これからの自分に不安だらけだったこと。働くすべての人が自分より先を行っているような気がして焦り、どうしようもなく情けなくなったこと。


卒業、入学、就職、転職、転居ーー。そう多くは経験しないこれらのイベントの大半が、春に訪れる。さまざまな別れと出会いが重なるこの季節には、苦難や別れを乗り越え、新たな目標や夢を抱いて一歩踏み出す人が多い。

春は、そんな人たちのパワーで満ち溢れているような気がする。


かつての自分も、さまざまなシーンでパワーを発揮させていた。だから、街ゆく人に色んな思い出を重ねてしまうのだと思うし、そんな過去の自分が懐かしくも誇らしい気持ちになる。

温かくて優しくて照れ臭くてちょっとほろ苦い過去の自分。でも不思議と、思い出す記憶のほとんどは、精一杯生きてきた瞬間を切り取ったものばかり。

泥臭くも、必死に生きてきた証が確実に自分の中にあって、それが春風とともに呼び起こされる。その瞬間に心が苦しくも温かくなる。心が動いていることを実感する。そのことに救われたり、安心したり、嬉しくなったりする。


大人になると、そうやって感情が大きく揺さぶられることも、何かに一生懸命になれることも少なくなる。何かを頑張りたいと思っていても、何らかきっかけがないとなかなかスイッチが入らない。ありがたくも平凡な日々の中で、心を大きく動かすのは簡単ではない。

そんなときこそ、街を歩いて活力を感じ取りたい。
街に出れば、きっとエネルギーのお裾分けをしてもらえる。そして、自分の中に眠っていたエネルギーを呼び起こしやすくなる。春の空気には、そんな力が満ち溢れている気がしている。

何年後かの春、今年の春を懐かしくも誇らしい記憶として思い出せるように、そして未来の自分の活力へと変えられるように、今この時間・この瞬間を後悔なく思いっきり生きていきたい。


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おかゆ
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