ムクロジカル・マインド2024.2.3note
2024年2月3日立春の日、目黒区緑ヶ丘文化会館で、めんどくさいカフェDX.vol.2「ムクロジカル・マインド」を開催しました。当日は、文月亭桔梗(ふみづきていききょう)さんによる落語「茶の湯」の公演に続いて、会うひとすべてをムクロジストにしてしまう摩訶不思議なこの木の実との狂乱の半年間の実験とやっつけガリ勉リポートを発表しました。でも同時進行で行われた「数珠づくりWS」や「自分で点(た)てて自分で服(ふく)すめんどくさいお抹茶」「立春とかけてあおぎなこと解く。そのこころは…の、春告げ鳥の鶯餅」にみなさん夢中。ほとんど誰も聴けなかったという…詰め込みすぎました)。その採録をお届けします。 (2024.12.25・しばやす)
○ ムクロジカル・タイム、 スタート
…文月亭桔梗さん、ありがとうございました!
落語「茶の湯」、いかがでしたか?
ことし還暦になる予定で、いよいよ隠居生活を計画して「カフェ」…つまり「茶屋」と名のつく活動を始めちゃった私としては、同じタイミングのご隠居の一挙一動が、なんとも身につまされるというか可笑しくて。それに、自分が大っ嫌いで「残りの人生の間、絶対、拒否る!」と表明しているスノビズム・権威主義を――それも自分の内側からマイスノビズム・マイ権威主義としてーー笑い飛ばしているのが、なんとも痛くも快くもあり、たまらなかったです。
さて、このお噺になくてはならない「無患子の実の殻」――このお噺の中では「ムクノカワ」と呼ばれています。昔はそう呼ばれていたんだと思いますがーーのことを「かき混ぜると泡立ち洗剤として日常使われていた木のみの殻」であることを説明をするくだりがあります。
もちろん、お噺ができた当時は、みなが当たり前に無患子を知っている前提であったはずですから、そもそもは、必要なかったくだりです。
みなさんの中にもご存知ないかたも多いのではないでしょうか。まずは実物をお配りするので手に取って自由に触ったり振ったり嗅いだりしてみてください。
いかにもシェル…殻です、というていの丸い容器に蓋がついているような形、化石を思わせる魅惑の樹脂色。それに、いわゆる合成洗剤や石鹸から香料をすっかり取り去ったらこうなるだろうな、なんだか知っているぞ、という不思議な匂いがしませんか。それに、振ると中の種…玉がカラカラ音をたてますね。
さて、まずはお手元のキッチンバサミでおひとりひとつずつ切れ目を入れて、パカッと割ってみてください。で、机にあるザルのほうに中の黒い種を、ボールのほうに殻を放り込んんでおいてください。
○ 界面とはなんぞや? それを活性するとはどういうこと?
殻の内側が、ベタベタしてるでしょう。
このベタベタが、よく言葉は耳にするサポニンという成分です。
サポニンは、水に入れてかき混ぜると泡立つ性質を持ち、洗剤として活躍する界面活性物質です。界面…、というのもよく聞くその言葉ですが、界面とはなんで、それを活性するとは具体的にどういう作用なのでしょう。
今回も、ネットをあちこちサーフィンしてのやっつけガリ勉、ぼんやりわかったあやふやなことを報告しますので、みなさんぜひ不安に駆られてご自分で探索してみてくださいね。
まず「界面」とは何か。いわゆる「表面」とはどう違うのか?
「表面」は面の表側そのもののこと、いっぽうで「界面」とは混じらずに接している2つの物質の「境目(さかいめ)」「接触部分(interface)」を示す言葉です。
協和科学株式会社という会社のホームページにあった解説が、やっつけガリ勉をする私にとってとても分かりやすかったのですが、具体的な例として「顔と空気の境目」「床と空気の境目」「床に水をこぼしたなら、床の上にできる水滴と床との境目」が挙げられていました。
界面では、界面を維持しようしたり、互いに溶け合おう、混ざり合おうとします。また、別の物質が入ることで、そういう現象が邪魔されたり、促がされたりします。これら界面での現象を促す作用が、界面を活性させるということ、そのために入り込ませる物質が界面活性物質というわけです。
サポニンや、サポニンのような界面活性物質の分子構造には、ひとつの分子構造の中に水になじむ親水基の部分と油になじむ親油基(疎水基)の部分を併せ持っている、という、とてもユニークな特徴があります。
親水基は、水や水に似た物質に近づこうとする性質があり、親油基は、水を避けようとして油や油に似た物質に近づく性質があります。こうして水と油というふだん交わらないものが、インターフェイスによって一同に会す(結果、油汚れも水に混ざってきて取れ落ちる)。いまさらですが「汚れが落ちる」「洗う(洗われる)」ってそういう現象だったんだなあ、と感じ入ります。
もちろん、ひとつの分子は、1mmの50万分の1ほど…こういうふだん遣いじゃない数字になるとちょっとまた実感から遠ざかってしまいますが…、とごく小さなものでもチリも積もれば…で、集合すると大きな洗浄力になります。集合したさまが「泡」というわけです。
○ サポニン=シャボンとして活躍した無患子(ムクロジ)
さて、サポニン。その名のサポ=サボン=シャボンという語源の通り、石けんが普及する以前は、インドから東南アジア、日本をふくむ東アジアの温かい地域に自生していた無患子は、ソーダ・アルカリを多く含む灰汁(灰を水にとかしたもの)と共に、洗剤として各地で利用されていました。
これが無患子の木です。5メートルは軽く超える巨木になります。葉っぱはコレです。まわしますね。ちょっと枯れてちゃっているけど、イチョウと同じように黄金色に見事に黄葉して、そのあと葉を落とします。
「昔は、どの井戸端にも無患子の木があった」と書いている人もいます。ホントかよ、と思い、ちょっとだけ井戸端が描かれている浮世絵なんかを探しましたが、無患子らしい木が描かれているものは見当たりませんでした。古い絵や古文書が好きなかたで「コレ!」というものをご存知なかたがいたらご一報ください。
○ ムクノカワの正体
さて、落語の話に戻りましょう。
落語「茶の湯」で「あおぎなこ」と並んで重要なアイテムである「ムクノカワ」ですが、先ほど文月亭桔梗さん版をご覧いただいたみなさんは、これが「無患子の実の殻」のことであることを、すでにご存知です。
(※↓「ムクノカワ」とは何なのか、解説している部分のみ抜粋した画像です→2024.12注byしばやす)
でもね、この解説のくだり、いろんな人の録音を聞いてみたのですが、これがね、「ムクノカワ」を正確に説明している人が一人もいないんですよ。YoutubeやApplemusic、Amazonmusicなどのサブスクで、ふだん寄席に行かない、落語を知らないわたしのようなものでも、いろんな噺家さんのを聴くことができますから。
まず、このくだりは、無患子が洗剤として当たり前に使われていた時代には必要なかったはずです。みなが知っていることだから解説を入れる必要がないですから。でも、十代目柳家小三治の1960年代の高座の録音では、すでに「ムクノカワったってなんのことかお分かりにならないでしょう‥」で始まる解説のくだりがあります。それより古いおそらく1950年代の三代目の三遊亭金馬の高座の録音には、これがありません。小僧が「ムクノカワ、買ってきました」ととぼけた声で言っただけで客席からドヨッと笑いが起こります。このあたりまでは、お客さん、つまりフツーの人がまだ「ムクノカワ」がなんなのか知っているし、中には使っている人もまだいたかもしれないわけですね。
次々聴いても正解を言う人が見つからないとがぜん面白くなってきて、思わずリストアップしてしまいました。これを発表いたします。
間違いは、おもに2つに分類されます。ひとつは「むくのかわ」の「むく」を「椋(むく)の木」と勘違いしているパターン。
もうひとつは「むくのかわ」の「かわ」を「木の皮」と勘違いしているパターン。
小三治師匠のものは、時代ごとに複数の録音を聴くことができましたが、より新しい1970年代のコレには初めて「無患子」という言葉が出てきて、実の部分の解説まであります。しかし、惜しい!無患子というのはあってるのに「木の皮」ではなく「実の殻」なんです、師匠!
その後、どなたの高座の録音かメモを忘れてしまったのですが、1980年代には「“全温度チアー”買ってきました」と小僧のセリフを変えているものもありました。でも、“全温度チアー”を知っている人、みなさんのなかにもあんまりいないんじゃないですか?これにまた解説が必要になってしまうという…。
(↓※YouTubeに懐かしのCM集的な画像がありましたので貼っておきます→2024.12注byしばやす)
…そろそろお気づきのかたもいらっしゃるでしょうが、みなさんは「ムクノカワを正確に解説した茶の湯」に立ちあった、世界ではじめての人々、ということになります。おそらくね。
もし「いやいやこの人がすでに正確な解説をしているよ」ということをご存知のかたがあればご一報ください!
いわば「知ったかぶり」の態度をまな板にあげて赤面しながら笑い飛ばす側面もあるこのお噺のなかで、図らずも噺家さんたちが「知ったかぶり」を披露しているというのが、なんとも皮肉というか、いやいやさらにお噺を輝かせる奇跡というか。いやあすっかり楽しんじゃいました。余計な脱線でした。
○ 泡立てタイム
さて、それでは、いよいよ「茶の湯」のご隠居のように、無患子の実の殻、ムクノカワを泡立ててみましょう。あおぎなこは入れませんよ。あと、飲んじゃいけませんよ。サポニンは量の多少はあれ多くの植物に含まれていますし、血液をサラサラにする成分が医療用に利用されていますが、用法を間違うと神経毒にもなるという話です。お噺のなかの「ご隠居の茶の湯の犠牲者」が軒並みお腹を下したというのも故ない話ではありません。
ボールの中のムクノカワーー無患子の実の殻を5つづつ、小さいボールに分けて、かき混ぜたとき飛び散らない程度の水をテキトーに入れてください。泡立て器でホイップを作る容量でかき混ぜてください。電動のひとも思う存分、やってみてくださいね。
洗濯板もここに置いておくので、何か洗ってみたいものを思いついたら、話を聞きながら、自由に使ってくださいね。あと空いたペットボトルも何本かありますので、それで自由にお持ち帰りください。ちなみにお開きのあと、めんどくさく淹れるコーヒーの機材を洗うのに使うので、ちょっと残しておいてね。人工香料がプンプンする洗剤は絶対使いたくない調理器具ですから、うってつけなんです。
○ 無患子との出会い
ここで、無患子とわたしの出会いをちょっと説明させてください。じつは、私、一年ほど前(2022年)に、洗濯や掃除についてあれこれ調べる機会があって、そのなかで無患子のことを知り「使ってみたい!」と矢も盾もたまらん状態になって…、でもどこに行ったらゲットできるのか分からずーー先輩ムクロジストたちも、どこで採集したかはっきり書いてくれないし、ネットで無患子の木の写真を見ても、どこにでもある特徴のない木という感じで、はっきりイメージできません。
そのうち、お噺にも出てきましたが「ソープナッツのシェル」なんつってAmazonで結構な高額で売られていることを知りました。
さらに「欧米の自称環境問題に意識が高い系セレブ」に再注目され、わざわざ、たくさんの人的・資源的エネルギーを投入して製品化したものを、コレまた壮大な鉱物資源ロスと環境負荷をかけて輸入している。原産地のーーインドでは無患子の学名(ラテン語)はsapindusは、sapo(石鹸)+indicus(インドの)、つまりインドの石鹸、というくらいのもんで、最近まで普通に洗剤として気軽に使っている人が多かったのに、このなんともダッサいことの次第から、みなが採取しても咎められなかった生えていた木は製品のための原材料として換金接収され企業のものとなり、製品化された無患子は売値が釣り上がってしまい、インドではより安価な合成洗剤に乗り換える人が増えている…、というしょうもない話も聞きました。
で、困ったときの「メルカリ」。――わたしは「メルカリ」の物物交換感が好きなのですがーー、「無患子の実」で検索してみると、ありました!
しかも「東京某所で拾った」とある。手渡しじゃないからゼロではないにせよ、最小の輸送ロスで済みそうです。喜んで買い、まずは肌着やおしゃれ着洗い限定で、あとは洗濯石鹸を切らしちゃったときに使ってきました。
ちなみに、うちではこれまでネットで調べた情報から「一リットルの水に10粒入れて火にかけ沸騰したら500ミリリットル足して水が褐色に色づくまで煮出し」たものを冷まして使う、という方法を採用してきたんですが、今みなさんがやっているように、その都度、こうして泡立てるほうが正解だということも分かりました。落語を聞いていて、泡が立ちすぎて「フーッフーッ」って吹き飛ばしながら飲むっていうところ、煮出し洗剤はここまで泡立たなかったから、あれ、大袈裟だなあ、って思っていたんです。でも大袈裟じゃないことが、準備の実験の結果、分かりました。エネルギー負荷もないし、作り置きしないから腐ったりする心配も臭いもありません。
今では、うちでもそうしています。洗濯の場合は、洗濯機がかき回して泡立ててくれるだろう、とそのまま放り込んでいます。 洗い上がりソフトで洗剤のみならず柔軟剤も要りません。「ホントに洗えててるの?」とよく訊かれますが、まあ、汚れが取れずに体調を崩す同居家族も今のところ出ていませんし、第一、今までだって洗剤や柔軟剤の「宣伝文句(有効成分の効き目の説明も含む)」をそのまま信じていたに過ぎないので「ホントに洗えてるのか」どうか分からないで使ってきたことになんら変化はありません。そして、どうしてもシミを取りたいとか、滅菌したいとか特別な場合は、その目的を叶えてくれる製品の力を借りる…と言うのも今まで通りです。
○ ムクロジスト増殖!
ついにメルカリの100粒が尽きようという昨年11月1 日、私は、このめんどくさいカフェDX. vol.1「ぎんなんマニアック!」で使うぎんなんを拾いにサクマーさんと訪れた東工大キャンパスの知る人ぞ知るイチョウの名所で、偶然、無患子の実を発見したのです!もう大興奮でした。サクマーさんに見せると、サクマーさんもその魅惑の容貌に「なにこれ!?」と雷に打たれたように大興奮。
「ぎんなんマニアック!」当日の11月28日に、もうぎんなん拾いには遅いけど、と「黄葉狩り」と称したオプションで同じ場所に集まったみなさんと、無患子探しに突入。ひとつ拾ったらみなさん夢中になって小枝を持って落ち葉を掻き分けて(※)。今日の午前中、オプション「おとなげない宝探し」と称して、同じ場所にお邪魔しましたが、この名前はこの日のみなさんの様子(おとなげない感じ笑)から命名しました。なぜかこの実って一度拾うとたちまちその人をムクロジストにしてしまう魔力があるような気がします。
(※昨年のこの時分は落ち葉を掻き分けて実を探す時期でした。→2024.12注byしばやす)
ちなみに落語「茶の湯」のことは、この日、参加してくださった大好きな謄写印刷ミニコミ誌「あめつうしん」編集長の田上正子さんが教えてくださり初めて知ったんです。その後、サクマーさんを通して、演劇仲間の桔梗さんと繋がって、今日、こんなことになりました。あれよ、あれよ、でホント面白いです。
○ 無患子の木の正体は?…神代植物園へ!
さて、引き続き11月28日のこと。その場にある木には、すべて大学らしくこんなふうにプレートが巻いてあります。実(み)の姿は知っていても、それがどんな木に成るものなのかはまったく知らなかったし、気にもとめなかったわたしですが、このときばかりは、もちろんすぐに「ムクロジ」というプレートの木を探しました。ところが、ないのです。どの木にかかっているのも違う名前のプレート。
おまけに「ムクの木」のプレートをかけた木があって「え?無患子ってムクの実って意味なの?」と立川志の輔師匠の解説とまったく同じ説が浮上したり、ネット上に上がってる写真と見比べて「なんかこのクルミって書いてある木が怪しいけど…」ということになったり、とにかく、どの木が無患子の実を落としたのか特定できません。こうなると「まずは正体を見なくちゃ。会わなくちゃ!」と狂おしく思い始め帰宅するとほどなく、すっかりムクロジストと化した田上さんから、「ひらせんに訊いたら、神代植物園に無患子の木があるって。一緒に行くことになったけど行きますか?」ともう、ありがたくて飛び跳ねちゃうようなメールが。
ひらせんというのは平林浩さんという「仮説実験授業」という教育を研究・実践されている科学の先生で、子どもだけでなく大人も対象にして各地で科学教室をやってらっしゃる超ステキなかたです。わたしは娘も息子も義務教育以降の3年ほどをお世話になったフリースペースで、定期的にひらせんの授業があったことで知っていたのですが、実際にお会いしたのはこの時が初めてでした。田上さんもひらせんの生徒です。ひらせんの科学教室の実録である「スズメバチの生き方はこんなにおもしろい!(※)」というめちゃめちゃ面白い冊子を今日、持ってきちゃったのでご自由にご覧ください。
さて、ひらせんが案内してくださり、無患子の木と感動の対面。何本も巨木が生えているそこはちょっとした無患子の広場になっていて、ベンチやピクニックテーブルも置かれています。無患子の木は、イチョウと同様、ちょうど燃えるような黄葉と落ち葉の頃で、地面の一面の葉っぱを優しく木の枝で掻いていくと、実が中からひょいっと顔を出す感じ。色の似ている蝉の抜け殻を間違って拾ったりしました。落ち葉がない頃に落ちたのでしょう、地面に激突して割れてあっという間にカビが生えて腐ってしまったようなものもあります。
○ サポニン仲間・サイカチとの出会い
そして、90歳のひらせんが「ぼくは、子ども時代は信州でしたが、無患子はありませんでした。無患子は耐寒性がないので関東が限界なのでしょう。同じように水につけてかき混ぜると泡立つ仲間に「サイカチ(西海子)」の鞘があります。よく泡立てて、シャボン玉遊びをして遊んだものです」「無患子もサイカチも水辺に育つ植物です」と教えてくださいました。
なるほど、先ほどの「井戸端に必ずあった」というはなしですが、それを聞いて「井戸端に洗剤があれば便利だからと、昔の人が井戸のそばに植えたんだな」と当然のように思っていたけど、そうではなくて、水のあるところに無患子やサイカチあり、そこを掘れば水脈あり、つまり順番が逆で、井戸のほうがあとなんじゃないか、と気づきました。
ちょうど年末にお隣の世田谷区で「杜人」っていう映画を観たんですが、それも地面の中にはね、水脈が通ってるんだよねえ、分かってるかい?っていう話で、これがつながって。
それになにより木ってそもそも植えるものじゃなく生えるものなんだよなあ、改めて感じいりました。生き物ってそもそも、人間も含めて、「だった」も含めてそうなんですよねえ。わたしの思考はこんなふうにかなりこじれてしまっているので、そのよりをほぐすようなできごとに出くわすときホントに面白いです。
で、園内の小川に沿って進むと、すごい、サイカチ(西海子)の木も生えていました。足元の笹原のなかに銅色のクネクネした大きな鞘が落ちていました。これから拾ってきたものを回しますので、テーブルごとに一〜二本くらいゲットしてください。で、一つのボールに半本くらいに切って入れて、同じようにやってみてください。
ムクノカワと違ってあまり泡立ちそうにない感じの容貌ですが、昨年末、サクマーさんと私でやってみた実験だと、サイカチの鞘のほうが泡立ちがすごくて、でも無患子のほうが泡がいつまでも消えない、という結果でした。今日の結果はどうでしょうね。
木辺に鬼と書く「槐」という字もあてられている通り、幹には鋭く美しい棘を持っています。ひらせん曰く「この棘で棘ぬきをすると傷が早く治るとも言われていたなあ」。
○ 念珠づくりタイム
さて、今度は、黒い実のほうにもご注目ください。洗って白いふわふわを取れば黒豆のように綺麗な玉になります。
回収する責任をとってくださるかたは、ちょっとテーブルにぶつけてみてください。結構、弾むでしょう。これ、羽つき遊びの羽根に使っているアレなんです。もっとも羽根つき遊びも馴染みないものになり羽子板もド派手な、飾る専用のものを年末の市(いち)などで見るのみになりました。
でも、ここ数ヶ月、寝ては無患子起きては無患子の日々の中、出会った数少ない無患子を知るひとには、むしろ洗剤になることは知らず「羽根つきの羽根の玉」というほうをご存知のかたが多かったです。
“煩悩・業苦を取り去りたいなら、無患子の実、百八個を貫き通して輪を作り、それをいつも持ち歩いて、つねに一心に佛法僧三宝(仏とその教えと伝える僧)の名を唱えて、無患子の実を一つ繰ってはまた唱えて実を一つ繰るということをくり返せばよろしい”…
これは「もくげんし経」というお経に残っている元祖仏教のお釈迦さんの言葉です。あの、88玉ある、お坊さんが念仏唱えながら一つ一つ繰っていく元祖数珠、あれも無患子製だったのです。もっとも書かれた書物は、ほかの宗教のそれ同様、お弟子さんたちや孫弟子さんたちに依るものですから、ホントにお釈迦さんのアイデアかどうかは分かりませんが。
試しに作ってみたものを回します。88玉はないけどステキでしょう。今日は立春ということは今日から88日目が八十八夜。それを目指して一日一個、穴を開けてみようかなあ、と計画しています(※)
(※このあと、2週間もしないうちに挫折しました笑→2024.12注byしばやす)
この固い実にどうやって穴を開けるのか?「木の実穴あけ機」なるものも売っていましたが、大袈裟にしたくなくて、ネットで調べたことをいろいろ検証したところ、比較的苦労なく、いつでもどこでも気が向いたときにさりげなく開けられる方法を見いだしました。
用意するのは、目抜き(千枚通し)、電動ドリルの先っぽにつけるヤツ、棒やすり、あとはガムテープと、台代りとして穴が開いてもいい古雑誌など。で、黒い玉の頭におへそのような部分がありますね。ちょっとお手元のを見てください。ここを上にして、台代りの雑誌につけたガムテープに固定します。で、ここが肝心なんですが、目抜きでおへその端から、チクチクと探っていき、グサッと目抜きが突き刺さる柔かい部分を突き止めます。
無患子の実の中には仁(じん)と呼ばれる柔らかい部分があり、そこに接近している実のおへその部分が穴を開けられる場所です。そこが穴を開けられる場所ですから、多少中央からずれていても気にせず、グーっと目抜きを押し込みます。そして、玉が滑らないように注意しながら、トンカチで上からトントントンと叩いて、もう一方に貫通するまで沈めていきます。貫通したら、目抜きを抜き、今度は穴にドリルの先っぽをグリグリ入れていきます。このとき結構、力がいるのと、皮膚が擦れてしまうので、持ち手は軍手を使った方がいいと思います。中から白い中身が出てきますが、この油で、上手い具合に黒い玉にツヤが出てきます。グリグリしても何も当たらないくらい穴がスムーズになったら、今度は、棒やすりで穴のバリを取って綺麗にします。
で、出来上がりです。
虫が入った穴があるものは、崩れてしまったりするので使えませんでした。あとは、どうしても柔らかい部分が突き止められないものがたまにあります。これはムキにならずそうそうに諦めました。あと、ツヤをもっと出したいときには、植物油で擦ればすぐゴージャスにテラテラします。プラスチック磨きもありですが効果のほどに比して手も磨けてきちゃって、いまひとつでした。もうすぐこの与太話も終わりますので、よろしければ、実際にちょっと穴を開けてみつつ(※)、耳を貸して下さい。
(※この作業でふたりのひとが指を負傷してしまいました。試しにやってみようというかたは十分にお気をつけください。また「この方法だと安全だよ」「楽だよ」という方法を見出したかたは、ぜひ教えてください。来年ーー2025年は、安全な方法を再検討して画像をアップしようと思います。→2024.12注byしばやす)
ちなみに今回調べものをするにあたって最もお頼りしお世話になったのが、無患子に対するものすごい愛と情報に溢れる「ぷうちゃんわーるど」というサイトでしたい。思わず読み耽りながら感情移入してしまう面白いページです。興味があったらみなさんもご覧になってください。
○ 無患子はいつ、日常から消えたのか?
最後に残る疑問は「こんなにステキでスマートな無患子、日本でいったいいつ、なぜ消えたか?」ということです。なんで?という点については、石けんに取って代わられたっていうのはまあ間違いありません。木になるのは、消滅したのはいつ?ということです。
石けんに取って代わられたのは、1890年に国産初ブランド石けん「花王石けん」が、同年ドイツで発明され今でも石けん製法の主流である「電解ソーダ」を用い大量生産、安価で提供し庶民に広まったのがきっかけ、さらに石けんから合成洗剤に乗り換えられた高度成長期の1959年の水道法制定により全国に水道が一気に普及したことと井戸が日常の暮らしから切り離されたこと、同時期に、道路舗装や区画整備、建設事業が激しく進み、「この高木、不要、邪魔」と切り倒されたことで、ついに景色からも消滅、というのが、私が、ガリ勉して思い描いた「消滅物語」です。
このガリ勉の内容――石けん・合成洗剤の歴史や、その後、公害にまつわる社会運動など洗剤のあれこれもなかなか面白かったので、今日は「広げすぎやろ〜」ということで、みなさんとりとめのない話に付き合わされるのもそろそろ限界でしょうし、さすがに無理ですが、機会があったら、発表したり、おしゃべりしたいと思っています。
○ ムクロジカル・マインドセット
いや、ムクロジと過ごしムクロジストと化した数ヶ月、我ながら痛快!と言っちゃうほど、たくさんのマインドセットが更新されました。
最後に、その中でも最大級のマインドセット更新をひとつ。
このかん、無患子を拾った話をすると、少なくない人たちから「楽しそう。来年は“みんなで”拾いに行こうよ」という声が上がりました。しかし、しかし、という話です。
ひらせんと神代植物園を訪れてから、わたし、そしてサクマーさん、ほかムクロジストと化したみなさんも、神代植物園や隣の深大寺、そして原点の東工大に、まるで何かに憑かれたように、みみなし芳一のように、気がつけば、何度も足を運んでいました。葉っぱがすっかり落ちたその後に、
ほら!スゴいでしょ。満開の桜のように実が鈴なりに成っているのを見た時の驚きときたら。葉っぱがある時は隠れてまったく見えなかったんですね。しかし、しかしです。相手は高木。見上げるばかりでこちらに都合よく落ちてきてはくれません。山と積まれたお宝を口をくわえて見ているしかない。それはそれは悔しくなりました。
そして、つい先日、1月なかば、日中ものすごく風が強い日があったのを覚えていますか?ちょうど世田谷のボロ市にいたんですが、並べている食器が飛ばされるほどの風でした。「夜中、大風が吹いてニヤリ。次の日行くと案の定、木の下には無患子の実が絨毯のように…」なんてブログを読んでいたので、もうそこからソワソワソワソワして、気がついたら、翌朝「めんどくさいカフェやってます。」をやってからその足で、神代植物園の無患子の木に会いに行っていました。すると、信じられない光景!絨毯どころじゃない、地面は一面の無患子の実。しかも落ちたてのほやほやで、ツルツル。割れているものもないし、カビたりもしていない。そしてなんと見知らぬムクロジストがすでに来ていて「オタクもムクロジ?」なんて言うのです。着いたのはもう15時半くらいでしたから17時の閉園まで夢中でそのムクロジストとそれぞれ500粒は拾ったと思います。それでも地面にもまだまだ残っていて、木のてっぺんの枝にもわんさかある。「なに焦ってんの?」と笑われている感じ。
そうですよねえ。無患子の木はなにも人間の期待に応えるためにここに生えたんじゃない。人間の都合にあわせるいわれはない。「何日の何時に行こうね」でも「これじゃあ取れないじゃん!」でも、ましてや「おいくら?」でもないんです。下手すると競技にされかねない、わたし含め現代人って大なり小なり生まれながらにそういう文化に育てられてるからそういうモノにしかねない。
だから、みんなで、予定なんて立てられっこありません。相手は人類と違う道理、人類と違う時間で生きる生物。人類のペットでも奴隷でも工業製品でもないんですから。
思いがけず嵐の日があって、ソワソワして、翌日時間が作れたら、即、行く。時間が作れなかったら、チキショーと地団駄を踏む。あったなかった、と一喜一憂する。釣りもそんな感じなんですかね? 会いに行く、ひとりで。偶然、知り合いと出くわして照れ笑いするかも… そんな感じです。
“狂気。それは同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと“
煎り上手の生みの親である藤村靖之さんの好評発売中のこの本、「地球の冷やしかた」の前書きにもありましたが、アインシュタインのこの言葉、なんだか、この結末としっくり来ます。今日の与太話、これで締めさせていただきます。
ながながとお付き合いいただき、ありがとうございました。
○ このあとは…
さて、本日は、落語「茶の湯」にちなんで、あおぎなことムクノカワ製ではない、本当のお抹茶を「自分で点てて自分で服す」お抹茶体験コーナーもあちらに設けました。こちらのすぐご近所の「みどり湯」さんから、助っ人で来てくださったちえ蔵さんが、思いっきりカジュアルに、ですが、裏千家の薄茶のあわ立て方を指南してくれますので、自分だけの自分による自分のためのお抹茶をぜひ試してご賞味ください。あと、あおぎなこと立春にかけまして、春告げ鳥の鶯もちもまだ少しあります。ぜひつまみながら、もう一杯コーヒーかお抹茶、もしくは、ちょっとがんばって両方とも、ゆっくり召し上がっていってください。
ではでは、この後はお勝手にどうぞ。
2024年10月24日に、この「ムクロジカル・マインド」で大変お世話になった、ひらせんこと平林浩さんが亡くなりました。わたしがまとめる作業を怠ったために、平林さんにこの採録の内容をご確認いただくことができなかったこと、読んでくださったみなさんにとってご了承いただくとともに、悔やんでも悔やみきれません。
9月に神代植物園を無患子に会いに訪れた際、まだ緑色の実が、黄色い小さな花と一緒にしきりに落ちてきました。平林さんに、この新しい“発見“を報告したくて、このとき撮った写真を確認のための原稿に同封して郵送しようと準備をはじめていたときにお報せを受け取りました。もうお目にかかれない、お話を聞けない、と分かっているのに、その日からずっと地面に草に空気や水や鳥に、見るもの触るものに、平林さんを感じます。
送れなかった写真を、こちらに掲載します(2024.12.27・しばやす)。