憧れや悔しさに滲む『ありたい自分』
WBC2023優勝の余韻が冷めやらぬおかちんです。
今週も記事を読みながら、Youtubeを見て感動してます。
大谷選手の言う憧れとは、「この人達には敵わない」と戦う前から負けを認めるということ。超えるどころか並ぶことすら諦めているということです。
もしHRを打たれても「メジャーバッターなら仕方ない」とか、全打席三振でも「さすがメジャーピッチャーだよな」とか、負けたことに対して言い訳ができてしまいます。
四重円構造でいうところの『他人事の世界に追いやる』ことで、自分を守ろうとします。
メジャーで猛者たちと痺れるような戦いを繰り広げ、MVPまで獲得した大谷選手だからこそ、憧れることに含まれるネガティブな側面をチームで共有しておきたかったのでしょうね。
一方で憧れはポジティブな側面も持っています。それは『ありたい自分』へと向かう原動力となること。
例えば、野球少年がプロ野球選手に憧れて練習し、上達していくのは「○○選手のようになりたい」という強い思いがあるから。
今回も、ダルビッシュ選手や大谷選手から直接教わる選手たちの様子が報じられていましたが、「今よりもっともっとうまくなりたい!」という気持ちが伝わってきます。
憧れの選手たちと同じステージで戦える自分がありたい姿なら、今の球速や球種で三振が奪えない、同じ打角や打速でHRやヒットが打てないという現状を意識せざるを得ません。つまり『見たくない自分』と向き合わなくてはなりません。
できない自分、ダメな自分を見せつけられるのは……相当悔しいですよね。
その悔しさについて、村上選手や山川選手はこう語っています。
史上最年少三冠王を獲得し日本を代表するバッターとして臨んだ村上選手。大谷選手と肩を並べる日本の4番バッターとして活躍する姿をイメージしていたからこそ、目の当たりにした大きな差に相当な悔しさを感じたのでないでしょうか。
でもそこで腐ることなく、自分を信じてひたむきに努力したからこそ、準決勝メキシコ戦でのサヨナラ打や決勝アメリカ戦での同点弾につながったのだと思います。
パリーグ本塁打王として臨んだ山川選手。スタメンとして出場し、チームを救うバッティングで活躍する姿を想像していたはずです。しかし強化試合では思うように打つことができず、岡本選手や牧選手にスタメンを譲る形となりました。
そんな中スタメン出場のチェコ戦と代打出場のメキシコ戦は、それぞれ犠牲フライで打点を上げています。「僕が打ちまくったとしても、優勝できなかったら意味はなかった」と本人が語るように、自分の活躍よりもチームの勝利を優先し、今の自分にできる形で貢献することを選んだのでしょう。
ベンチでも常に笑顔で周りを盛り上げ、得点のたびに喜びを爆発させていた姿が印象に残っています。
2人の記事をじっくりと読むと、悔しさに滲む強いエネルギーを感じます。
そのエネルギーを自身のさらなる成長やチームへの貢献に変換できたのは、
「置かれた環境で、自分に何ができるのか」と考えたから。
つまり四重円構造でいうところの『当事者意識を持つ世界』で捉えたからでしょう。
憧れるということは、他者との比較を通じて理想とする自分を投影しているといえます。『ありたい自分』に気づき、いまの自分を具に省みる機会になります。と同時に、自分に不足しているものも認識します。
悔しいということは、まさに自己概念が強く現れている状態です。自己概念とは「良しとするモノの見方、考え方」のこと。裏を返せば「~でなければダメだ、~すべきというモノの見方、考え方」にも自己概念が現れます。
『ありたい自分』が明確であればあるほど、『見たくない自分』もまた明確になります。その現実に向き合うエネルギーが、四重円の内側へと進む原動力になるとわたしは考えています。
今回のWBCで躍動した選手たち。彼らの姿を通じて、わたしもまた『ありたい自分』『見たくない自分』と向き合うエネルギーや勇気をもらいました。
自分事のように優勝がことさらうれしかったのは、彼らに自分を重ねていたからかもしれません。そこには「チーム一丸となって痺れるような戦いを勝ち抜き、その中で活躍したい」というわたしがいるのかも……そういえば全国オンラインキャリアカウンセリングの運営として力を尽くしたのは、そんなわたしがいたからかもしれません。
こんな風に自分を省みることができたのも、WBCのおかげですね。
ありがとう侍JAPAN!
ありがとうWBC!
また3年後を楽しみにしています!
明日も佳き日でありますように