「上位者に逆らってはならない」という思い込みが変わった瞬間
キャリアカウンセラーのおかちんです。
今日はどんな一日でしたか?
今回はわたし自身の体験をお話しします。
よき部下でありたい
わたしは仕事のうえで「よき部下でありたい」という思いを抱いています。そのために年長者や上位者を尊重・尊敬すべきであると考えています。
それが行き過ぎて、「年長者や上位者に対して部下は従順であるべき」と、思い込んでいたようです。指示に対してNOと言わないことが前提であり、いかにして命令を実現するかということに力を尽くしてきました。
その結果、納得のいかないことがあっても、自分の理解不足や力不足を責めてしまい、建設的な話し合いが十分にできないまま仕事に取り組むことがありました。
働き始めてから20年近く直属の後輩・部下をもつことがなかったため、自分が一番下の立場ということに慣れ過ぎてしまったのかもしれません。
また、自分の出身校で教員として働き続けているため、上司や先輩はみんな恩師ということも影響しているのでしょう。
仕事の指示は成長のチャンスと捉えて、どんなことでもやり遂げようと挑戦し続ける性格も相まって、「逆らうようなことはあり得ない」というわたしがつくられていったのだと思います。
「できない」という事実が受け入れられなかった
12年ほど前、それまで担当したことのないコースのクラス担任になりました。
仕事の幅を広げるため、様々なタイプの学生に対応できる力をつけるために当時の上司がチャンスを与えてくれました。
上司からの期待に応えたいと意気込んでいましたが、残念ながらわたしの指導方法や態度が学生に受け入れられず、すっかりと信頼を失ってしまいました。この頃はまだ相手の話を聴くことができず、決めつけや押し付けが強いタイプの先生でした。学生からすれば指示的で話を聴いてくれない先生に、安心して相談なんてできませんからね。
でも当時のわたしは「クラス運営がうまくいかない」という事実をどうしても素直に受け入れられずにいました。「できない」と口にしてしまうことで「上司の期待を裏切ってしまう」と考えていたのかもしれません。
学生の方を見ずに、上司の顔色ばかりをうかがってばかりいる人間に、信頼を寄せる人はいませんよね。だからますます状況が悪化してしまいました。
「よき部下」にも「よき先生」にもなれず、自分を責めてばかりの毎日でした。
聴くことが人を変える
ちょうどこの当時に「キャリアカウンセリング」に出会いました。そのチャンスを与えてくれたのは、他でもないその当時の上司です。
その上司は相談できなかったわたしに対して、コーチングをしてくれたんです。初めて「本当に話を聴いてもらう」という体験をしました。何を話したかはすっかり忘れてしまいましたが、聴いてもらえたことの感動はいまだに覚えています。
この日を境に、わたしは学生の話を聴くことにチャレンジし続けました。見よう見まねで傾聴には程遠かったと思いますが、少なくともそれまでの指示的で一方的な決めつけばかりのわたしに比べれば、正反対の行動をしていたはずです。その結果、少しずつ学生たちも歩み寄ってくれて、1年をかけて信頼関係を築いていくことができました。
その上司から「キャリアカウンセリング」というものがあること、その養成講座が長野で行われること、そして説明会が近く開催されることを聞かされました。
わたし自身が変化できたこともあり、「傾聴を学びたい」「人の話を聴ける人になりたい」「学生たちの話を聴ける先生になりたい」という願いを抱いて説明会に参加しました。
就職指導担当として学生の相談を受ける際に「うまくいかない」と感じていた(当然です!)ので、キャリアカウンセリングを学べることは願ってもないチャンスだと感じました。
ただ、講座の日程が合わず、そこから1年半後に日本マンパワーのCDA養成講座に通うことになりました。
CDAになっても変わらない上司へのかかわり
初受験の実技試験ではまったく相談者の話を聴く(展開する)ことができずに、見事なまでの惨敗でした。
半年後に再チャレンジし、ようやく合格。念願のキャリアカウンセラー(CDA:キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)になりました。
上司には涙の報告。やっと「話を聴くプロ」としてのスタートラインに立てたことの喜びに震えました。
しかし、傾聴を学ぶきっかけは「上司の期待に応えられるようになること」でしたので、合格したからと言って「年長者に従順であるべき」という考え自体は変わっていません。
むしろカウンセリングを学ぶほどに「よき部下でありたい」という気持ちの方が満たされていって、ますます「逆らってはいけない」「従わなければいけない」という考えが強化されていました。
一方で自分自身をふりかえり、自問自答することが多くなったため、「なぜ年長者に従うことをよしとしているのか」を考える機会が増えました。
そこでたどり着いたのは子どものころの体験でした。
素直でいい子になった日
保育園のころ、当時住んでいた団地の目の前の川が大雨による土石流で決壊寸前までになりました。大雨の中、父はその川の様子を見るためにひとり外へ出ていったんです。その時、「家から絶対に出るな!」と叫ぶように出ていった父に、“勇敢な男の背中”を見たのでしょう。
それ以来わたしにとって父は尊敬の対象でした。
その父に、頭を下げさせるようなことをしてしまったんです。小学生時代にとある問題行動を起こしたことが原因でした。
「尊敬する父がわたしのために謝っている」
「そんなことをしてしまったわたしはダメな人間だ」
「もう二度とこんなことはしてはいけない」
この日から、わたしは言うことを聞くいい子になりました。といってもわがままはたくさん言っていただろうし、甘えてばかりで迷惑もかけていたと思います。ただ少なくとも「父に頭を下げさせる」ようなことはしなくなりました。
この頃から「両親には素直に従うこと」で、悪い自分・嫌な自分・見たくない自分を隠すようになったのでしょう。
いい子でいると両親を喜ばせることができ、それがうれしかったことも強化した要因かもしれません。
そうやって大きくなったわたしは、やがて専門学校の教員になりました。
「先生」と呼ばれる職業に就いたことを、ことさら喜んでくれたのは両親です。その喜ぶ顔を見てとてもうれしかったことを覚えています。
もしかしたら「やっと自慢の息子になった」と思うことで、ますます見たくない自分を隠したかったのかもしれません。
そして働き始めてから、対象は両親から上位者・年長者へと変わっていきます。つまり「上司に従うべき」という思い込みが生まれたのです。
きっかけはキャリアカウンセリング
そんなわたしがキャリアカウンセラーになってから、日々の研鑽の中でさまざまな学びの機会に恵まれます。
職場では相変わらず「上位者に逆らってはならない」と思いつつ、キャリアカウンセリングの場面では「あなたらしくないのはなぜでしょうね」と問いかけていました。なんだか矛盾しているようですが、わたし自身はそのことに気づいていません。ただ、うまくいかないこともあったため、「カウンセリングはとても難しい」と感じていました。
それは当然です。自己一致ができていない状態で、相手の話をきちんと聴けるはずはありませんから。
そうやって悩む中で7年前と3年前、たった2回でしたがCDA同士でキャリアカウンセリングを学ぶ「経験代謝ピアトレーニング」を体験しました。
自己一致できていないわたしの拙いカウンセリングを、仲間が一緒になってかかわってくれて、問いかけによって相談者(役)がみるみるうちに自問自答を始め、内省していく様子を体験しました。
「ピアトレって好きだな」
その思いを抱いたわたしは、この場をつくるファシリテーターを目指して、2年前にオーディションに応募しました。
結果は運よく合格。そしてピアファシリテーターとして活動するとともに、自分自身を深く深く見つめ直す機会をもらうことになります。
つい先日、このピアファシリテーターの仲間での勉強会を行いました。そこでわたしは相談者として「上司に逆らえないわたし」について話しました。
そのときに「年長者や上位者に逆らないのは、幼少期の父親に頭を下げさせたことがあったから」と言ったんですね。
ですが、「父親が頭を下げた経験が、なぜ逆らってはいけないということにつながるのか」と問いかけられました。さらに「あなたの“ありたい自分”ってなんでしょうね」と。
・・・あっ、そうだ。
わたしは両親に喜んで欲しかったんだ!
この瞬間、「人を喜ばせたい」という自分に出会った(再会した)んです。見たくない自分とともにずっと隠していたのでしょうね。
「上位者に従うべき」という信念は、「貢献・献身」といった行動へとつながっています。むしろ「自己犠牲」といってもよいかもしれません。人のために尽くすことをよしとしていました。そのために自分の身体を壊すこともあったり、ときには損をすることも。それでもどこかで気持ちよく感じていたんですね。
それは「人を喜ばせたい」というありたい自分が、歪んだ形でも満たされていたからなんでしょう。
このキャリアカウンセリングがきっかけで、わたしは長く抱えていた思い込みが変わりました。
いまのわたしは「人を喜ばせる」ために、自分を活かしたいと思えるようになりました。“尽くす”ではなく“活かす”です。
おそらく行動は変わっていません。上司に対してよき部下であろうとしていますし、人のために動くことも好きなままです。
でも行動原理は「従わなくてはならない」から「人を喜ばせる」に変わっています。人のためではなく、自分のために行動している感覚があります。
「どうやって喜ばせようか」
「心からの笑顔をもっと引き出すには何ができるだろう」
そんなことを思って、考えて、動いて、かかわっています。
最後に
今回は、パナソニック×note「#思い込みが変わったこと 」投稿コンテストに応募するために、自分の経験をふりかえってみました。
以前はこの話をすることも怖かったですし、自分を保てなくなってしまうので避け続けてきました。
ただ、父への尊敬の気持ちとその父と息子たちを支え続ける母への感謝の気持ちはずっと抱いてきました。
見たくない自分とありたい自分が実はつながっていて、それはアラフィフを迎えたいまでも思い込みとして行動に現れていることが、今回のふりかえりでよくわかりました。
このnoteを書き続けてきたことも、実は「読む人たちを喜ばせたい」というわたしの思いを満たすための行動かもしれません。
読者のみなさんの心の中に少しでも温かな思いが生まれて、それが他の誰かを喜ばせる行動につながってくれたらうれしいですね。
これからも人を喜ばせる人であり続けたいと思います。
明日も素敵な一日でありますように。