見出し画像

ミネストローネの呪いのせいで火災警報器作動させた話|ベルリン生活日記


ビーッビーッビーッビーッビーッビーッ…


普段耳にすることのない大きさの音量と聞き覚えのないリズムで、突然警報が鳴り響いた。
人はこういうとき、一度身動きが止まる。

うちの家か?
…うちの家だ。

料理していた手を止めて、火を止めて、タブレットから流していたポッドキャストを止めて、音の鳴るリビングルームの方へ歩いてみる。

地震大国ニッポン育ちの私にとって突然家の中で鳴り響く警報といえば、緊急地震速報。ダイニングテーブルに置いていたスマホを手に取り、画面を点けてみるも、通知はない。



そういやドイツって地震あるのかな。


ドイツ地震事情に思いを馳せていると、ピタッと音が止まった。顔を上げると目の前には、ソファに立ち、手に白い円柱型の物体を持つフラットメイトの姿。


火災警報器だ。

「全部の窓を開けて!」

彼女から指示を受けて速やかに行動。
私たちの住む家の窓は上下に並んでいて、下の窓のレバーは私の肋骨の高さにあって開け閉めしやすいが、上の窓のレバーはつま先立ちをしないと届かない。
かかとを上げたり下げたり上げたり下げたりを繰り返し、キッチン・ダイニング・リビングにある窓を全て全開にした。

「ごめん!私のせい!今気付いたけど、キッチン相当煙たいわ」
「でもリビングで警報鳴るほどかな?結構距離あるけど」
「たしかに」
「換気扇取り付けるかー。あそこ、天井に開いてる穴あるでしょ?それが換気口で、そこに換気扇のパイプを入れて、換気扇を設置できるのよ」
「元々付いてるわけじゃないんだね」
「ドイツのアパートはキッチンが付いてないこともあって、その場合自分たちで流し台とかコンロとか買ってきてキッチンを一から作らなくちゃいけないの。この家はキッチンは付いてたんだけど、換気扇はない。ちょっと考えなきゃだね」
「なるほどね。とりあえず料理するときは窓開けて、家燃やさないように気をつけるわ」
「そうしよ」
「それにしてもうるさかったよね。邪魔しちゃってごめんね」
「気にしないで。火事じゃなくて良かったよ。でもこれ、初めて作動したけどこんな音鳴るんだね。びっくりした」

彼女はこの家を借りて3年。私は入居して2ヶ月半というスピードで、彼女がこの3年間一度も遭遇しなかった事態を引き起こした。


それもそのはず、私はミネストローネの呪いにかけられているのだ。


ミネストローネの呪い①

遡ること2022年12月5日。
そう、呪いは2年も前から始まっている。

まだ日本で会社員をやっていたときの話。当時付き合っていた彼氏と同棲を始めて2ヶ月が経とうとしていた。
冬の寒さが本格化して、温かいスープが飲みたい気候。
この日私はミネストローネを作った。

大学も会社も実家から通える距離にあったので、親の脛をかじってぬくぬく実家暮らし。実家で包丁を握ることといえば、せいぜい辛ラーメンのトッピング用に長ネギを斜め切りするくらい。
要するに、社会人3年目にして、一人暮らし経験なし×自炊経験なしで同棲がスタートしたというわけだ。

料理担当をどちらかに決めていたわけではないが、基本的に私の方が退勤時間が早かったので、夜ご飯は私が作ることが多かった。

料理初心者にとって複数品を同時に作ることは至難の業。サラダ用にブロッコリーを茹でている間に、親子丼用に玉ねぎと調味料たちを煮る、なんてことはできない。ブロッコリーを気にかけていたら玉ねぎ煮すぎて水分蒸発して玉ねぎフライパンにこびりつくし、玉ねぎを気にかけていたらブロッコリー茹ですぎて離乳食並みの柔らかさになる。
彼が帰宅するまでに全て作り終えたい私にとって、一汁三菜は無理難題。品数は少なくても一度に大量に作れてかつ満足感のあるご飯を作ろうとすると、献立は肉料理に偏った。親子丼や唐揚げ、肉野菜炒めや麻婆豆腐など、毎日さまざま作った。

その日はミネストローネの気分だった。

同時に他の料理を作り進めることができない私は、野菜を煮る間は時間を持て余す他ないので、意気揚々とインスタのストーリーズに投稿までしている。

今夜はミネストローネ!

この日、私が主菜に選んだのは、鮭のムニエル。

鮭!!!!

そう、魚料理についに手を染めた記念すべき日。週の半分は鍋に頼りながらも、毎日せっせと肉料理を作る日々。そろそろネタが尽きてきたところだったのでお魚を召喚。ミネストローネに合うようにちょっと洋風チックな味付けにしたくてレシピを探していたところ、輪切りレモンが鮭に乗っている写真が目についた。つくれぽ2000件超え、信頼できそう。君に決めた。

結果、失敗。
ちゃんと火が通ったのか判断がつかずに焼き続けたら鮭が焦げる。
焦げた鮭がフライパンにこびりつく。
バターも火にかける時間が分からず気づいたら焦げる。

焦げた食べ物というのは、味もニオイも食感もダメ。私は美味しくないご飯を作ったとき、自分一人の分であっても落ち込む質なのに、恋人まで巻き込んだ暁にはお箸が進まないほど分かりやすく落ち込む。
彼はそんな私を笑って慰めながら、「え、美味くね?」と何も気にしない素振りでいつも通り完食してくれた。

鮭のムニエルとミネストローネ

一夜にして魚を焼くという行為がトラウマになった私がその後再び魚料理に挑戦したのは、2023年6月6日。実に半年もの間、私は魚を焼くことはなかったのだ…


私が鮭をうまく焼けなかった理由、それはミネストローネにある。
住んでいた家に魚焼きグリルがなかったからでも、クックパッドに焼き時間が書いてなかったからでも決してない。

私はミネストローネの呪いにかけられていたのだ。

ミネストローネの呪い②

それは今年の4月22日。
あれから1年以上経ってもまだミネストローネの呪いは解けていなかった。というか、前回の呪いは気休め程度の効力だったが、今回は本気を出してきた。

5月末に退職を控えていたので4月18日に最終業務を終え、有休消化期間に入ったばかりのときの話。
この日私はミネストローネを作った。

出来上がったそれは、人間が許容できる範疇を超えた塩っぱさだった。


前回の呪いのときに同棲していた彼とは去年末にお別れしていて、このときは訳あって実家で一人暮らしをしていた。一人で住むには広すぎる実家のダイニングに、あまりの塩っぱさに思わず出た声が響いた。

え!?!?

人は本当に塩っぱいものを口にすると声が出る。

スープ皿を持って急いでキッチンへ向かい、一度全て鍋に戻した。とにかく液体で割るしかないと思い水を入れてみるも、薄まったトマト味の中に泰然と座る塩味は、どれだけ水を足しても微動だにしない。ギブアップ。
一緒に作ったグラタンだけを食べてお腹を満たした。

翌日、同じチームで働いていてプライベートでも仲良い後輩を自宅に招いた。彼女はリモートワークを、私は退職手続きを、各々作業に集中した。

お昼時になり、前夜のハプニングを話して、原因究明と解決策立案を煽った。
その前に彼女にも味を見てもらった。私も恐る恐る一口を口に運ぶ。案の定塩っぱい。塩味は前日から微動だにせず、何食わぬ顔してトマトの中に居座っている。

「なんなんですかね?」
「いや、それがまじで見当つかないのよ。レシピ通りに作っただけだし」
「牛乳とか入れたらマシになりそうじゃないですか?」
「あー、牛乳ね。水入れても意味なかったけど牛乳ならいけるのか?ちょっと入れてみるわ」
「それにしても謎ですね」




あ…




もしかして…





前日自分が辿った導線を思い起こし、調味料の棚を開け、ミネストローネを作るときに使った覚えのある容器を取り出し、中の調味料少量を指で掴み、舐めた。



砂糖じゃない!!!!!!




塩だ!!!!!!!!!



塩のしの字もないレシピを見ながら、致死量の塩を鍋に入れていた。

この頃は同棲初期と比べて自炊経験値はずいぶんと上がっていて、それに比例して料理の腕も鳴りまくっていた。
一人暮らしでも野菜を冷蔵庫で腐らせることはなかったし、冷蔵庫内のマップは常に最新バージョンで脳内ダウンロード済み。複数品を同時に作り進めることは相変わらず手こずってはいたけど、どの順番で作り進めたら一番時間を有効に使えるかは考えられるようになった。
有休消化期間に入ってから上達の勢いはさらに加速し、料理への関心も高まった。インスタとレシピサイトを往復しその日挑戦するレシピを見つけては、まだ外が明るいうちにキッチンに立ち始め、うんと時間をかけて一品一品を作り上げていった。グラタンにラザニア、アクアパッツァにスペアリブ煮込みと、食べたいものはなんだって作れた。一汁三菜もお手のもの。もう焼き魚だって美味しく焼けるし、バターだって焦がさない。
私の私による私のための料理は、毎回満足度200%だった。

その私が、まさか塩と砂糖を間違えるなんて…そんな失敗犯したことない…

これは、間違いなくミネストローネの呪いだ。

ミネストローネとグラタン

ミネストローネの呪い③

そして昨日、9月29日。
ドイツに移り住んでもうすぐで3ヶ月が経とうとしている。

変わらず料理への関心が高いことに加えて、日本食シックに耐えきれない私は、人との予定がない日は毎食自炊飯を食べている。
たまにアジア系スーパーへ行くこともあるが、輸入品は費用が嵩むので、基本的には家から3分のところにあるローカルのスーパーで買い物している。日本で当たり前にあったものがなかったり(大葉、ニラ、えのき茸、蓮根etc)、逆に日本ではあまり見かけないものがあったり(ひょうたん型の南瓜、小松菜に似たカラフルな野菜、ニンニクサイズの玉ねぎetc)と、売られているものが違う。日本の方が発信してるレシピに倣って書き出した買い物リストを握りしめてスーパーへ行っても、買いたいものが全て揃うことはほぼない。この頃の私は、レシピに忠実に従うイエスマンから脱し、ある物で代替しながら自己流に料理ができる臨機応変スキルが身についた。圧倒的成長。

この日私はミネストローネを作った。
もはや怖いものなど何もない私に、5ヶ月ぶりの呪いは威を振るってやって来た。それはもう、まるで誰かに操られてるかのように、自分の意思とは反対のことが次々と起こった。

ほんの1〜2時間で起きたとは到底思えない数なので、箇条書きで簡潔に書く。

・現在家ににんじんが4kg
冷蔵庫の野菜室ににんじん一袋(2kg)あることを忘れて、にんじんもう一袋(2kg)買ってきた。いや…この量どうやって消費するねん…(オススメ大量消費案教えてください)

・現在家にニンニク×8個
フラットメイトと共用で使ってたニンニクを切らしたから買ってきたら、彼女も買ってきていた。しかもよりによって一片一片がしっかりふくよかで立派なニンニクたち。いや…この量どうやって消費s…

・前代未聞の薄すぎブラウニー爆誕
家にあったステンレスのパウンドケーキ型のサイズが、作った生地の分量に対してあまりに大きすぎて、型に流し込んだ時点で底から厚さ0.5cm程度、焼き上がり厚さわずか1cm程度。私が絶対的信頼を置く栗原はるみさんが30年以上作り続けてるレシピ。彼女はこの薄さのブラウニーを未だかつて目撃したことがあるのだろうか…

これは一体…?

・ミネストローネ、4人分レシピに記載の野菜が体感少なすぎる
4人分と書いてあるレシピに使う野菜はじゃがいも2個、にんじん1/2本、玉ねぎ1/2個。冗談じゃない。こちとらたった数分前に4kgのにんじんの存在を知ったばかりで、その事実をまだ受け止めきれてない。そんな私に向かってにんじん1/2本だなんて舐めすぎている。倍だ、倍!!無我夢中で8人分の野菜を1cm角に切り揃える。

・ニンニクの素焼き
オリーブオイルを引いてからニンニクを炒めるつもりが、何を思ったか乾き切った大鍋にニンニク8人分投入。この後使う調味料を準備しようと鍋から目を離すも、微かな焦げ臭を感知し鍋を見る。え?素焼きしてるやん。急いでオリーブオイルを回し入れる。

・漆黒のニンニク爆誕
時すでに遅し。ニンニク丸焦げ&オリーブオイルも焦げに染まる。一旦火を消す。

・具材8人分に対しスープ4人分というバグ
この後使うトマト缶を棚から取り出そうとしてバグに気付く。家にトマト缶は1缶しかない。これは当初のレシピ通り4人分に必要な量。全ての分量を倍にしてきた私、ここでスープは4人分しか作れないことに気付く。

・火災警報器作動
バグのことに気を取られていたら、爆音の警報が家中に鳴り響く。鍋を見ると煙が大量発生。火は止まっていたもののIHコンロの熱がすぐには冷めず、ニンニクがさらに熱せられていた模様。

・漆黒の木べら爆誕
鍋に入ってた木べらの先端部分が丸焦げ。急いで洗ったけど時すでに遅し。


ちょ待って、こんなことってあるぅ〜〜〜???






踏んだり蹴ったりなキッチン時間をようやく終え、ミネストローネとブラウニーが出来上がった。

ここ最近のベルリンは、日が暮れると10℃近くまで気温が下がる。窓全開にしてしばらく経ったダイニングルームは、長袖長ズボンの部屋着でも震えるほど寒かった。

ミネストローネとブラウニーをそれぞれお皿に盛り、ダイニングテーブルに座った。熱々のスープを一口口に運んだ。全身に温かさが染み渡る。あぁ、あったかい。あったかくて、美味しい。


寒くて暗くて長いドイツの冬がもうじきやってくる。
おばあちゃんにいつかの誕生日にもらったもこもこの靴下、日本から持ってきてたっけな。冬支度、始めよう。


ほぼ汁なしミネストローネ(中央奥)と、漆黒の木べら(中央手前)と、大量のニンニク(左奥)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?