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日記と呼べるほど具体的なことは書かれない、雑文集。

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2019年6月の記事一覧

日本人は全員「ティファニーで朝食を」採るべきだ、みたいな雑文

「ティファニーで朝食を」とったことがあるか?  1950年代、明け方のニューヨーク。空に白みが掛かる時間帯のせいか、車通りも人通りも見当たらない。劇中歌の「ムーン・リバー」が流れ、一台の黄色いタクシーが五番街に停車する。タクシーから黒のドレスを華麗に着こなしたオードリーヘップバーンが現れた。タクシーが停車したのは、あの「ティファニー」の目の前。パン屋さんの紙袋からクロワッサンとコーヒーを取り出し、ティファニーのウィンドウを眺めながら、サングラスかけ朝食を取る。満足そうに、ど

実は一番の抗うつ剤は「90年代後期ミスチル」だった【前編】

 また太陽が昇ってしまった、と窓の外に目をやる。「明けない夜はない」みたいな言葉が使い古されていて、ほとんどなんの重みも感動ももたらさないと思っていた。でも、本当に明けない夜はない。毎日、正確な時間に太陽が登る。憎くて、でもちょっと嬉しい事実だな。  最近夜になったらミスチルをずっと聞いている。小学校のときに「抱きしめたい」をひょんな機会で聴いて、それ以降90年代のミスチルを中心にウォークマンが擦り切れるくらい聴いた。もちろん、ウォークマンは擦れないし切れないけれど。なんに

偶然のような必然、のような偶然

 本屋が好きだ。それも紀伊国屋書店とかジュンク堂のような大型の書店。都市にあるような大型の図書館でもダメだ。とにかく大きな本屋に身を埋め、てくてくと無作為に歩き回りながら、目についた本をほとんど衝動的に購入して、勢いで読み切る。そういう「読書」が好きで、なんならほとんど偏愛的な趣味とも言える。  日が傾き視界を突き刺す西日が1日の終わりを予告する頃、今日も大型の本屋に出かけた。読みきっていない山積みの本に一瞥をくれながら重い鉄の扉を開け玄関を後にする。後ろめたさ、のようなも

「持たない幸せ」は本当に幸せなんだろうか、みたいな雑文

 関西一円も梅雨に入ったそうだ。だいたいこれまでの人生は、テレビのニュースかテレビよりうるさい母親が梅雨入りを教えてくれていた。今は母親もいないし、テレビも見ない。天気予報がわからなくていつも困る。 「梅雨、入ったらしいですね」  誰かは思い出せないが、そう伝えてくれた。ある部分が欠損したら、他の何かが補ってくれる。そういう意味では、うまく世界は回っているのかもしれないな。とにかく、いつかの誰かのセリフで梅雨の訪れがぼくにとって公式となった。  「無くて困るもの」は普段

無題

 「無題」というテーマで書こうと思う。なぜなら、これから書くことにはなんの新しい発見も有効な学びもないからだ。当たり前のことを、当たり前に書く。読了感としては「せやな」とかかな。目的や価値を希求しないことにも寛容になってほしいなと思って!まあ、そんなメッセージ性もないんだけれど。  夏が近づいている。確実に。淡々と。10年以上金融機関に勤続するサラリーマンのような着実さ。気温はともかく、湿度だ。自転車のペダルに足を乗せ力を入れると、肌をもったりとした風が撫でる。昼夜問わず、

深夜散歩のすヽめ

 深夜、あてもなく散歩に出かける。毎回、違う目的地を見つける。よく川へ行く。あるいは、近くの公園。もちろん、これといった特徴が一つもない公園。少し前は新大阪駅へ。ついこの前は、大阪城へ。散歩というが、実は自転車で。深夜、活動を停止させた大阪の街を自転車で小粋に駆け抜ける。夜風を身体に当てて、ただ気の赴く方向や地点を定め、車輪を回す。ひんやりとした夜の風が、肌を撫でる。鼻歌を淀屋橋に置いて行く。   昼を襲う人混みが消失した深夜の自転車は、徒歩では決して得られない質量の風を感