親子ってなんだ?

皆さんこんにちは。
おかどでーす。

今日はどんな1日をお過ごしでしょうか?


勉強をしたり、ウォーキング、ストレッチ、ヨガ...等で身体を動かしたり部屋を片付けて気分転換をしてみるのも良いと思いますよ!
但し、無理は禁物でお願いしまーす(^^)

前置きが長くなりましたが、今回は私の家庭環境について書いていきたいと思いますね。

(注)
過激な表現が出てきます。
気分が優れない方、読んでいて気分が悪くなった方は即、読むのを止めてください。


先に申し訳あげておきますが、

これを読んで同情してもらおとかは一切考えておりません。
ただ、こういう家庭もあったんだという1つの例としてお読み頂けたらとおもいます。

思い出しながらも自分も結構苦痛です。
文章が滅茶苦茶になっていて、読みにくい部分もありますがご容赦ください。

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「居れば気に食わない。でも、いざという時は助けてね。」

こんな都合の良い話があっていいものなのか。

私は母に暴力を受けて育ってきた。
暴力とは肉体的、精神的にである。

それは社会人になっても続いた。

今は「出て行く」とだけ告げてそれっきり会っていない。連絡なんか一切寄こしてこない。

子供に興味が無いのか、母がそう育ってきたのか...。
私には彼女の考えていることが一切理解できない。
理解しようと試してみたけれども、良い方向に動くどころか逆鱗に触れて殴られて痛かった。

自分の子供は能力なんてひとつも無い「能無し」と言われてきた。
褒められたことが無い。
口を開けば嫌味や否定語ばかり。

「頭でっかちで頑固でかわいくない」
「女の子だから勉強できなくていい」
「かわいくない」等々....。

可愛くなくて結構である。

言葉に関してはもう諦めていた。
こんなの気にしていたら身が持たないから。
ただ、些細なことでも、できた事があったら素直に褒めて欲しかった。
だからココに今書いているんだろう。

そして勉強をしているのかもしれない。

本当に嫌だったのが暴力である。
私が小学生の頃から起きていた。

母は父に良く暴力をふるっていた。
仕事から帰ってきてクタクタになった父を労う所かイチャモンをつけて喧嘩に発展。
父が抑え込むと母は
「助けてー」と良く叫んでいた。

助けてはコッチの台詞である。

ある日、私が小学生の時に突然、犬を連れてきた。本当に前触れも無く、家族会議も無しに。
だが、飽きてしまったようで途中で放置して○してしまっていた。私は、この犬を散歩に連れて歩いたりご飯をあげる係を自主的にやっていた。
亡くなった時は悲しくてやるせない気持ちになった。

猫もいたが彼女は突然「山に捨ててくる」と言って車に猫を乗せていなくなってしまった。
私は必死になって止めた。
「なんでよ!なんで捨てるの!」
すると彼女は「飼えないから」と。

父が亡くなった後は、子供である私に暴力がはじまった。

学生時代は、家に居場所が無かったので部活をやって夜まで家に帰らなかった。
問題は社会人になってからであった。

こんな私でも地元では有名な企業に拾っていただいたのである。

私が勤めて半年は静かにしていた彼女だったが、急に何かスイッチが入った様に怒り狂う。

夜中、寝ていると突然身体に鈍痛が走る。

彼女は仰向けで寝ている私の腹を足で思いっきり踏んずけた。

痛くて、苦しくて泣いた。

そしてアンタが不甲斐ないせいで、どうのこうの言いながらとにかく怒りまくっているのである。

私は泣きながらも冷静に時間を確認した。

「夜中の2時...」

感情に任せて怒り狂う彼女の爪が私の二の腕にくい込んで痛い。滅茶苦茶、身体も揺すってくる。

終わるのは大体、夜中の4時。

やっと寝れる。。。

こんなことが社会人になってからずっと続いた。

ある時は

包丁を持って「○してやる!」
バットを持って人に振りかざしながら「アンタなんか...」

ココに書けないことばかり。

自分は、努力を沢山したつもりである。
母の日やお誕生日にはプレゼントを買ってあげてみたり、親戚や近所付合いは母の代わりにやってみたり。
その時は「ありがとう」とは言う。

お給料が入ったので幾らかでもと思い、そこではじめて「何処の企業に就職して働かせて貰ってお給料を頂いたので少しだけれどもコレを生活費に当てて欲しい」と伝えた。
すると「いらない」と返事が返ってきた。

その時は引っ込めたけど、また寝ている時にやってきて「お金を全部寄こせ」と言って殴り、タラタラと文句ばかり言っていた。

ダメだった。

もう分かち合えないんだと。
所詮は他人なんだなと悲しくなった。

そして、あるタイミングで家を出た。

警察や役所、各種手続きの時には色々と言われたこともあった。

「そんなの知らないよ。もう大人でしょ」

と言わんばかりの言葉をも掛けられたこともある。

そりゃそうですよね~とも思ったが

「自分の身を守る為に来ている。嘘じゃない。」

訴え続けた。

何度も何度も足を運んだ。

すると段々と
「上の者に話をしてくるので待っててください」
と言ってお偉いさんが出てきて同じ話をする。

そういった具合でなんとか今の自分がある。

こんな事をココに書くか悩んだりもした。

でも私は今、何回目かわからないが前を向こうとしている。

親しい友達には話をしたり、アッチから声を掛けてくれる人がいた。

「あら〜元気だった?」

何とは言われ無いけれども同級生の親御さんが私を何故か知っているのである。

パニック障害でぶっ倒れた時も母はグチグチと何かを言っていたけども内容は覚えていない。
結局、仕事はクビになった。
お局には「甘えるのもいい加減にして」と言われた。
先輩たちは腫れ物扱いをする様に冷たくなっていった。


「甘えてるって何ですか?」と思った。
痙攣してぶっ倒れながらも考えていた。

その後は、何のご縁か色々と助けて貰いながら今を生きている。師匠は私にいろんなことを教えてくれている。

勉強は楽しい。生きているといろんな事があること。みんな何か内に秘めながら生きていること。
人を傷付ける人間は何かコンプレックスがあるんじゃないか等々。

これが全て正解かはわからない。でも知っておくことは悪いことでは無いとは思う。

今も時々、苦しくなる時があるが
「大丈夫、怖くないよ。まだ何も起きて無いじゃん」と言って落ち着かせる。

勉強もして少し遅れを取り戻している。
家事や買い物のやり方もね。

何で生きているんだろうという考えは捨てた。

「頭の病院行けよ」

元、仕事先の店長に言われた言葉。
「貴方が行けよ」
と思ったものである。

背景を知らない友人や大人たちは知らない事を好き勝手に言ってくれる。

「結婚は?」
「あの子も2児の母だって」
「何処に住んでいるの?」
「将来不安じゃないの?」

井戸端会議の好きな奥様たちである。

今じゃ無くてもいい。子供は可愛いけども可愛いだけでは育てられない。自分は今を生きるのに必死である。

ましてや、自分には彼女の血が流れている。
考えたくもないが事実である。

ゆっくり受け止めている最中である。

こういう家庭や人もあることをココに残して置こうと思う。

そしてまた、仕事に復帰しようと思う。
執筆活動や勉強をしながら。

仕事くださーい!!!!!

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ああ、頭痛え(笑)

訴えてやろうとも考えたが、何を主張しても応じない彼女に何を言っても無駄なのかもしれない。

ひとつ言えることがあるとするならば、

絶対、あんたより長生きして幸せになってやるからな!



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