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歳時記を旅する 23〔春浅し〕中 *浅春や谺は父の声に似て

佐野  聰

(平成六年作、『春日』)

 「春浅し」という季語は、江戸時代には見られない。
和歌では、春の「なほ浅し」と「いまだ浅し」を、長野と群馬に跨がる浅間山にかけて用いられている。

中世では
「春はなほ浅間の嶽に空さえて曇るけぶりはゆきげなりけり」(良経『続後撰集』一二四八年)
があり、近世では
「春いまだあさまの山のうす霞煙にまがふ色としもなし」(村田春海『琴後集』一八一三年)
がある。

 谺は山の霊が答えるものと考えられていた。

句の声はひょっとして、父の声を真似た山の霊の声なのかも。

(岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』令和四年二月号 「風の軌跡―重次俳句の系譜―」)

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