人生はただ1人、○○○○○いてくれる人さえいれば生きていける
こんばんは。
おかちもんこです。
早速ですが、みなさん
「根拠のない自信」ありますか?
わたしは、めちゃめちゃあります。
恥ずかしげもなく言いますが、自信満々の女です。
そして私自身も、ナルシストや自信家といった人達が好きです。
人として面白いから。
もちろん謙虚さもあってこそですが。
スポーツ選手に多いビッグマウスと呼ばれる人達も好き。
彼らはただビッグマウスなんじゃない。
自分の言葉に、自分の発言に責任を課してなおかつちゃんと尻拭いをする覚悟があるから、その想いと潔さに素敵だなと感銘を受けてしまいます。
でも悲しいかな、自信家やビッグマウスの人達をなぜか嘲笑う風潮がありますね。それは恥ずべき事だと思います。
こんな事を言ってしまってますが
そんな私の若い頃はただなんとなく自信というよりは過信。むしろ傲慢といった方が相応しい人間だったと思います。
責任や覚悟なんて一切持ち合わせてませんでしたからね。
だから自分より年下の人達と話してて、みんなしっかりしてるなぁ〜立派だなぁ。
って思う事が多々あるんですよ。
昔の私とは大違い。
そんな若い頃の自信とは程遠い過信満々の私は、人生で挫折という挫折を味わったことがありませんでした。
それは何でもうまくやってきたという事ではありません。
いつも甘えてきたから。
挑戦をしてこなかったから。
そして、何かあっても誰かが必ず助けてくれる環境にいたからです。
いわゆる大学受験や就職活動等も経験してませんから。(就活をしなくても仕事が決まる環境にいました)
苦労という苦労をせず、のはほんと生きてきた私でしたがやはり転機はありました。
東京に上京する事になったのです。
この東京で運命の出会いを果たします。
東京に来て2年ほど働いた会社を辞め、新たな働き口を探して面接しに行った所で《小笠原さん》と出会います。
この時のことを小笠原さんにも話した事があるのですが
私は小笠原さんと初めて対峙した時
「あ、この人とは長い付き合いになるな」
と確信した事を覚えています。
そして
「ここで働く事になる」と
予感のとおり、働く事になった私は今まで味わった事のない挫折をする事になります。
未経験の職種ではなかったのですが、それまで働いてた所よりも規模が大きく、より数字にコミットする向き合う仕事でした。
私は数字がすごく苦手です・・・
厳しいノルマこそないものの、成績が目立った所に張り出されるので意識せずにはいられないのでした。
案の定、仕事に対しては異常なほどの真面目である私は
せっかくやるならトップの成績を!!
と思い、目標を紙に書いて壁に貼りそれをモチベーションにして毎日頑張っていました。
しかし3ヶ月ほど経った頃、結果が出るより先に心を病んでしまいました。
その間、決して悪い成績だった訳ではありませんでした。
ただ、どうしても突破したい5位から上には行けずにいました。
自分のキャパ以上に頑張りすぎた事と、その日々にきっと心身共に疲弊してしまったんでしょう。
当時、職場の近くまで行くと涙がこみ上げてきて足がすくんで動かなくなったのを覚えています。
それから短期間ではありますが休養に入りました。
この期間は本当に毎日泣いてばかりでした。
「どうしてこんなに頑張ってるのにトップになれないの・・」
「悔しい・・・」
「でもしんどい・・・」
もう辞めた方が良いのかな…と思うところまで追い詰められていましたがはっきり辞める決断はできませんでした。
なにがなんでも絶対上にいってやる・・!!
これは元来の負けず嫌いであった私が、ふり絞った意地だったのでしょう。
辞めるならトップになってから!!
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、小笠原さんは休養する時も優しかったし
私が思うような成績を上げられずに腐りかけていた時もずっと励まし続けてくれました。
休む時は
「もんこは頑張り屋さんだから無理しなくていいよ」
愚痴をこぼした時は
「誰がなんと言おうと俺はもんこは絶対できると思ってるから」
腐りかけている時は
「今は芽が出なくても絶対花咲く時はくる。俺の見る目に違いはない。」
泣きそうになっている時は
「もんこは大丈夫!!俺が言うんだから間違いない」
いつもこんな具合に私に声をかけ続けてくれました。後にも先にもこんな人はいません。
誤解のないように言っておきますが、小笠原さんとは男女の関係になった事なんてありません。職場での付き合いなんです。
でもどんな時でも私を励まして元気づけてくれました。
必ず「もんこはできる!大丈夫だ!」と
私はこの職場で大きい挫折も味わいましたが、そこで揺るがない応援者も得ることになりました。
働き続けて1年半経った頃でしょうか。
かなり遅咲きですが、トップになる事ができました。
(その前にトップになった事はありましたがタナボタでしたし、すぐ返り咲かれてしまったのでそれはカウントしてません)
ようやくトップの成績で表彰された時は
「やっとここまでこれた・・頑張ってきて良かった・・」
と心から安堵の気持ちでいた事を思い出します。
頑張り続けた結果、トップの成績になれた事で私は根拠のない自信から確固とした自信を手に入れました。
しかし、これは私だけの力ではありませんでした。
自分のモチベーションだけではとっくに居なくなっていたと思います。
小笠原さんが私に対して期待し続けてくれてどんな時も諦めないでいてくれた事。
紛れもなく、この事が私を本当に強くしてくれました。
《貴方の事を諦めないでいてくれる人はいますか?》
私だけでなく皆さんにも言える事ですが
自分の事を期待してくれる人は割とたくさんいると思います。
ただ、諦めないでいてくれる人にはそうそう会えないんじゃないでしょうか。
自分の事を諦めないでいてくれる人は自分の人生にとって宝となってくれる人です。
光となってくれる人です。
大切にしてください。
私はもう今は違う会社に居ます。あれ程嫌だった数字にコミットする仕事を今もしています。
そしてまた病みそうになっています。
さらに悲しいことに、ここでは既に諦められている気がします。笑
慣れない業務も任され、注意される事も多く上司の怒りも毎日更新されています。
なので書くことで自分のバランスを保っています。
自分の挫折体験を書くことになるとは当時の私は思いもしなかったでしょう。
頑張りすぎた事で失ったものもあったかもしれない。でも得るものもたくさんあった。いつも私の事を自分の事以上に考え支えてくれる人達の存在に気付けた。トップの成績になった経験を経て
それ以前より周りへの感謝の気持ちを強く持つことができるようになった。今起きている全ての事に当たり前の事なんてないのだと分かった。今の自分がどれだけ幸せかを気付かせてくれた。
ところで
私が心を病んでしまった時に
幼馴染の直美が
「命より大事な仕事なんてない。だからもう頑張るな。」
と言ってくれました。とても嬉しかった。
結局この後もしばらくは仕事を続けたのだけれど・・
辞めた後に直美に
「あの時は本当に嬉しかったんだ。ありがとう(o^^o)」
とLINEを送った事がありました。
直美の返事は
「え、そんな事言ったっけ?」
( ̄∀ ̄)
こういう友を持って私はつくづく幸せだと思う。(嫌味)
でも私が言いたいことはこういうことでもあるんですよ。
誰かが何気なく言った言葉が何年も何十年もその人の胸に残り強く生きる希望となり頑張れることがある。
たくさんの暖かい言葉をもらい続けてきた私は、そんな誰かの心の礎となってあげられるでしょうか。
今度は私が恩送りをする番なのかもしれません。
余談ですが、小笠原さんとは定期的に連絡を取り合っています。
働いていた時から一緒に飲みに行ったりしていましたがお互いに
「(タイプじゃないから)無理だよね〜〜」
と言い合っていました。
運命の出会いとは言ったものの、ビジネスパートナーとしての出会いでした。
コロナが落ち着いたら後輩も一緒にご飯行く約束をしています。
いつもの日常が早く戻りますように・・・
今回は過去の自分と向き合いより真面目に書きました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。