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心のLED切らさぬように

ああ、今年も買ってしまった

✨キラキラledイルミネーション✨

皆が気付くように今年はテレビの真下に設置したわ

これで「クリスマス」にかこつけて購入したのは何度目になるのだろうか。
頭に「買ってしまった」とか言ったがしかし正直、イルミネーションを購入するのに私は一切罪悪感は感じてない。むしろ高揚感だ。そう、

私はイルミネーションが大好きなのだ。

前世は宝石大好き強欲成金ババアか、もしくはカラスか。きっとそうだ。
あの、初めて電源を入れる直前のワクワク感。入れた瞬間に心がブヮー!っと広がっていく感じがとてつもなくたまらない。むしろ

え?みなさんもお好きでございましょ?

と言いたい。嫌いな人は(人としてどうかしてるわ)←小声。


11年前の開店当時は、少しの飾り用手ぬぐいと、レコードを数枚飾ってある、至ってシンプルなゲイバーだった。それこそ、クリスマスが来るので仕方なしにツリーとイルミネーションを買った程度だったはずだ。
師走も手伝い、F1レースのようにあっという間にクリスマスが過ぎ去ると、ツリーの片付けは当然訪れる。面倒くささに軽い舌打ちをして、ソレをしている時に

せっかく綺麗だからツリーは片付けて、このキラキラだけ店内に飾っておこうか

と、一本のキラキラをカウンターに飾ったのがコトの始まりだ。ledで長持ちだし、電気もそんなに食わない。クリスマスの一瞬だけ飾ってあとはクロークにしまっておくのはもったいないよなと。要は、私の貧乏性が起爆剤となり、私の中の幼少から眠っていたキラキラ好きが覚醒したのか、それから一年、また一年と繰り返し、クリスマスが終わる度に店内は"素敵"になっていった。

これも5年ほど前なので、今はもうちょっと
クリスマスツリーの存在が雰囲気に飲まれ
気付かれないこともたまにある

しかし勘違いしないでちょうだいな。なんでもかんでも飾って明るくすればいい。
クリスマスの自宅に奮闘するお父さんとは違うの。

こういうのは私の好みではないわ

私なりのイルミネーションに対するポリシーがあるので聞いてほしい。

イルミネーションはもちろんキラキラ、わくわく、楽しい高揚感を手伝うものでもあるが、それだけではいけない。

そう、飲み屋と同じだ。

楽しいお酒だけではなく、涙と一緒に飲む酒も、飲み屋には必須な要素なのだ。

Happy birthday/Stevie wonder
のような軽快で笑顔が並ぶ楽しい場面も

Kissing you/Des'ree
のような2人の世界でロマンティックに浸る場面も

冬隣/ちあきなおみ
のようなひとりで涙浮かべて物思いにふける場面も

どの場面やBGMでも心に沁みるようなイルミネーションでなければならないのだ。

よっぽどのことがない限り、明るく眩しく、キラキラした場所では泣けないでしょう?
先の三曲に合うような光にするためには何が必要だろう。そう

闇が必要なのだ。人は時として、光で安心を求めることもあれば、闇で落ち着くこともある。心に痛手や、涙を伴うような心境の時は特にそうだろう。
ポリシー?自己満じゃね?と言われたらそこまでだし、それでいいのだが

闇が映える光。光を感じられる闇。

明るすぎず、暗いながらにも心に何かが灯る
そんな雰囲気を手伝うのにイルミネーションは最高に最適なのだ。
イルミネーションと共に、私も店も、そのようにありたいと日々思っている。

私をさらに触発させたバンコクのゲイタウン
派手な中にも切なさを感じるのは私だけかしら?



昔、うちで働いてくれていたダイちゃんが、出身である奄美大島に帰省しており、深夜過ぎに突然LINEで画像が送られてきた。

??うちの写真じゃん。

どこからどうみてもキラキラしているうちの店内の画像が、コメントなしで送られてきた。

「どうしたの?」

「そっくりでしょ!」

「…はい!?」

「これ、奄美の70代の女性ママがやってるスナックだよwww」


驚愕だ。何度も見直したが、本当に似ていた。
それで芋づる式に思い出したが、私が若かりし頃に地元の沖縄で行った60代の女性ママのスナックも、これまたうちと同様、ピカピカチカチカしていたっけ。
私が触発されたバンコクのゲイタウンもそうだが、

南国へ行けば、個人で営む水商売のババアというのは、キラキラチカチカさせたくなる血でも流れているのだろうか。

そこでさらに私は、開いた口が塞がらなくなることを思い出した。


少し前に、テレビで

ご老人の携帯の待ち受けを調査する

という企画をやっていた。おじいちゃんの待ち受けの上位はたしか「虫」や「孫」だったと思う。それに対しておばあちゃんは9割以上は待ち受けが「花」だったのだ。そして、ひとりのおばあちゃんのコメントが私の胸を貫いた。

私はもうこんなに綺麗に咲けないでしょう。だからせめて待ち受け画面だけでも綺麗に咲かせたいんですよ。

なんと胸に来る切ないコメントか。
なるほど、人は年を重ねて自分に足りなくなったものを、別のもので補うものなのかもしれない。

…と、いうことはだよ。

私はなぜこんなにキラキライルミネーションをやたら飾るのか。それはもう、依存こそはしていないが執着に近い。あのおばあちゃんの言葉をかりて言えば…

私はもうあの頃のようにキラキラはできないの。ならせめてイルミネーションで…

ということになるのか!?
嫌よ!私まだまだいけるもの!

崖に指で掴まっているような抗う心境の中、納得している自分もいるものだから心中複雑怪奇。迷宮入り。
そんな大人になりきれてない、来年46歳、新宿二丁目ママ。ちょっとエッチなミルキーっ子。(←知ってる人は知ってる)

最後まで読んでくれたあなたに感謝のチューを💋

あなたは何か自分自身を補えるものありますか?
今年もあと僅か。心のledを切らさぬように、補えるものは、使えるものは使って一緒に走り抜けましょう。
おやすみなさい🌙

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