【古文書を読む】幕末・明治の文字『五箇条の御誓文』『五榜の掲示』
【五箇条の御誓文】とは
「五箇条の御誓文」・・・なんだかちょっとカッコイイ響き。
(歴史に疎い筆者は「御成敗式目」「武家諸法度」「墾田永年私財法」など次々とかっこよさげなワードを連想しましたが、これらは全く時代もバラバラなもの)
今回取り上げたい「五箇条の御誓文」は明治元年(1868年)3月14日に出された明治政府の基本方針を示したもの。1867年が大政奉還なので、江戸幕府から明治政府へ交代したまさに新時代の幕開けの頃です。
5つの誓文の内容は、ざっくり言えば下記のようなこと。
「五箇条の御誓文」は明治天皇が神に誓う形で提示されました。そのため、5つの誓文の後には、次のように書かれています。
五箇条の御誓文の書の形式
この原本は、明治天皇の勅命により、公布前日に有栖川宮幟仁親王が清書したもの。
この文章は、
・漢文形式
・送り仮名のカタカナが小さく書かれている
・書体は行書体
言葉や漢字は今と異なるものもあるので分かりづらいけれど、文字としてはギリギリ読めるかなというところ。書の印象としては、凛として高潔な印象がします。
【五榜の掲示】とは
「五箇条の御誓文」の翌日(明治元年3月15日)に出されたのが、「五榜の掲示」。高札(こうさつ 民衆の目につきやすい場所の立てられた木の看板)に書かれ、国民に示されました。
内容はざっくり以下の通り。
五榜の掲示の高札は、全国各地で各々に書かれ建てられました。今でも博物館等に現物が残っているものがあるので、それを読み解いてみましょう・・・!
長野県上田市の高札
この高札は、3つ目の宗教についての禁止事項が書かれたもの。
読めますか・・・?
漢文調ですが、「五箇条の御誓文」と違い、ひらがな交じり文です。
江戸の識字率は8割ほどだったと言われますが、当時の庶民はこれがふつうに読めていたのかなぁ。また一音一字(1900年)になる前の時代。漢字は草書体も交じり、変体仮名も使われ、今の私たちからすればとても複雑に見えます。
江戸時代の文書はとてもたくさん残っているので、また解読してみたい・・!
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