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【古文書を読む】幕末・明治の文字『五箇条の御誓文』『五榜の掲示』

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左:書道家タケウチ 右上:書道家板谷栄司with鯖大寺鯖次朗 右下:ジャズギタリストタナカ


【五箇条の御誓文】とは


五箇条の御誓文」・・・なんだかちょっとカッコイイ響き。
(歴史に疎い筆者は「御成敗式目」「武家諸法度」「墾田永年私財法」など次々とかっこよさげなワードを連想しましたが、これらは全く時代もバラバラなもの)

今回取り上げたい「五箇条の御誓文」は明治元年(1868年)3月14日に出された明治政府の基本方針を示したもの。1867年が大政奉還なので、江戸幕府から明治政府へ交代したまさに新時代の幕開けの頃です。

五箇条の御誓文(明治元年3月13日)の原本

5つの誓文の内容は、ざっくり言えば下記のようなこと。

1.会議を開いてみんなで話し合って決めよう
2.上司部下、皆協力して仕事をしよう
3.官僚・武官・庶民、皆己の願いを叶え、人々が飽きないようにしよう
4.悪しき習慣を捨て、普遍的な道理に基づいた行動をしよう
5.世界から知識を集め、日本を大きく発展させよう。

「五箇条の御誓文」は明治天皇が神に誓う形で提示されました。そのため、5つの誓文の後には、次のように書かれています。

我が国はかつてない大きな変革を遂げようとしている。
私は国民の先頭に立ち、天地神明に誓い、この国のあり方を定め、万民が平和に暮らせる道を開こうとしている。皆さんも、この私の考えに基づき、心を一つにして努力してほしい。

五箇条の御誓文の書の形式

五箇条の御誓文(明治元年3月13日)の原本

この原本は、明治天皇の勅命により、公布前日に有栖川宮幟仁親王が清書したもの。

▼有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや たかひとしんのう)
1812-1886年
幕末・明治期の日本の皇族、書家
書道、歌道に優れ、それらの天皇の指南役となった。「有栖川流書道」を大成させた人物。

Wikipediaより一部抜粋)

この文章は、
・漢文形式
・送り仮名のカタカナが小さく書かれている
・書体は行書体

言葉や漢字は今と異なるものもあるので分かりづらいけれど、文字としてはギリギリ読めるかなというところ。書の印象としては、凛として高潔な印象がします。


【五榜の掲示】とは


「五箇条の御誓文」の翌日(明治元年3月15日)に出されたのが、「五榜の掲示」。高札(こうさつ 民衆の目につきやすい場所の立てられた木の看板)に書かれ、国民に示されました。

▼五箇条の御誓文
 明治政府の政治基本方針
▼五榜の掲示
 民衆政策の基本方針。主に禁止事項

内容はざっくり以下の通り。

1.五倫の道を正しく行え。
2.徒党・強訴(ごうそ)・逃散(ちょうさん 農民が田畑を放棄すること)禁止。
3.キリスト教やその他邪悪な宗教は禁止。
4.万国公法(国際法のようなもの)に則り、外国人への暴行禁止。
5.流浪・本国(住んでいる藩)からの脱走禁止。

Wikipedia刀剣ワールド参照)

五榜の掲示の高札は、全国各地で各々に書かれ建てられました。今でも博物館等に現物が残っているものがあるので、それを読み解いてみましょう・・・!


長野県上田市の高札


この高札は、3つ目の宗教についての禁止事項が書かれたもの。

上田市立博物館 上氏のホームページではかなり拡大して見られます

読めますか・・・?

※間違っていたら教えてくださいm(__)m


一 きりしたん宗門の儀は是を御制禁の通り堅く相守るべき事
一 邪宗門の儀は固く禁止候事
慶應四年三月 太政官
右仰せ出さるるの趣 堅く相守るべきもの也
長野県庁

漢文調ですが、「五箇条の御誓文」と違い、ひらがな交じり文です。

江戸の識字率は8割ほどだったと言われますが、当時の庶民はこれがふつうに読めていたのかなぁ。また一音一字(1900年)になる前の時代。漢字は草書体も交じり、変体仮名も使われ、今の私たちからすればとても複雑に見えます。


江戸時代の文書はとてもたくさん残っているので、また解読してみたい・・!



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