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#67『5度の臨死体験でわかったあの世の秘密』小林健

 古本屋にて、「二度死んだボクが伝えるあの世の秘密」みたいなタイトルの本があり、「二度も死んだか、凄いな」と思って更に目を走らせたら、世の中には上には上がいる。五回も死んでいる人がいた(笑)というわけで買ってみた。#31☆『生きがいの創造』以来、死後の世界や転生や生前記憶に非常に興味がある。
 で、その感想なのだが…微妙である。
 前提として、意識の世界にたった一つの正解というものはない。全ての意識はその意識の波長に合ったものを見るし、体験する。そしてそれはあまりにも絶対的な体験なので、他の可能性は無いように感じられる。ゆえに臨死体験と言っても、それが本当に中立的客観的証言である保証はない。その人の文化的バックボーンや信念や信仰や固定観念に大きく左右されるのである。
 というのも、多くの臨死体験において、実際には脳は活動停止していない。心臓が止まっただけだ。だから脳は「夢」を見ることが出来る。そしてその「夢」は多分にその人の平常意識や潜在意識の延長にある…というようなことを☆#49『プルーフ・オブ・ヘブン』の著者(脳外科医)は書いていた。その意味で、同書の著者の見た風景は脳(の新皮質)の完全活動停止状態だったため、絶大な説得力を持っていたのだった。
 以上を臨死体験の「種明かし」として先に押さえておくと、本書の著者が体験した死後の世界は充分に純粋で客観的なものとは思い難い。勿論、空想を語っているとか嘘をついていると言いたいのではない。「この人の見た現実」を語っていることを私は疑っていない。しかしそれは誰もが見るであろう普遍的な風景では恐らくないだろうし、また私が見るであろう風景でも恐らくないだろう。
 なぜそのような考えを私が持つのかと言うと、興味深いことに、臨死体験によって得た知恵の結果、著者は以下のものを否定している。宇宙人/輪廻転生/地獄/地球球体説。
 最初に突っ込むのは地球球体説であるが…うーん。いや勿論、平面説があることは知っている。が、私はそれを真面目に受け取ることが出来ない。そして宇宙人。これは、いる。輪廻転生は、ある。地獄も、ある。
 という訳で、「死は怖くない」「死は移行に過ぎない」「今を大切に」「愛を大切に」という根本的なメッセージ以外のすべてにおいて、著者に同意することが出来なかった。

 本書を読んで思ったのは「本当に、色々な世界、色々な見方があるんだな」ということ。勿論、自分が正しいとか著者が間違っているとか言いたい訳ではない。が、私は著者はちょっと知的に軽率ではないかと思える。
 その理由はこうだ。霊的存在は情報の伝達に関して必ず取捨選択をする。つまり彼らは、事実はそうだが、それを知らせることにメリットがない場合、情報を人間に伝えない、ということがある。その分かり易い一例は「未来」だ。
 多分、霊的存在が著者に望んだことは、「ある波長の人々に、それに適した波長の情報を送る」ということで、その際に宇宙人/輪廻転生/地獄といった情報は、不要または邪魔として排除されたのだろうと私は推測する。霊的存在はこのように①伝えるべき対象グループを想定して②スポークスマンを一人選抜し③それに適した指導法を取る傾向にある。というか、必ずそうする。なぜなら万人が等しく受け取れる情報は存在しないからだ。これは霊的情報の取り扱い上の基本の「き」である。
 ある情報や知見や事実は、隠された/語られなかった、または見えなかった/聞こえなかっただけである、ということを、「存在しない」ときっぱり言い切ってしまうところに、私は知的軽率を感じるのである。だってそうでなかったら、それらの情報や知見や事実について語る全ての本や証言が嘘出鱈目ということになってしまう。

 それと本書の構成に不満がある。後半は臨死体験と必ずしも関係がない。そして前半の臨死体験部分は、内容が薄すぎる。5回という回数は量的には圧倒的だが、「こうして死んだ、そしてこうして生き返った」というくらいの記述しかなく、そのあまりの死に易さと生き返り易さに「ドラクエか!」と声を出して大笑いしたものの、その体験から受ける静謐の感が乏しい。もっと書けたのではないかと思う。
 著者はヒーラーであり、また非常に有益な社会活動も為されているようで、素晴らしい方だと感じる。その能力や活動力が五度の臨死体験によってもたらされたことは著者も述べているし、その通りなのだろう。となると、著者の活動自体がもう臨死体験の充分な「おみやげ」なので、本書はその蛇足と言った所だろうか。
 わざわざ読む価値はない本だった。

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