#76『神々の指紋』グラハム・ハンコック
とても懐かしいこの本を再読した。と言っても以前に読んだのは高校生の時だったから、頭の悪い私には手に余り(今回も手に余った)、隅々まで記憶に残っていたわけではない。しかし、歴史的に「あり得ない」南極の地図、中南米の文明をもたらしたビラコチャやケツァルコアトル、歳差運動など、いくつかのことは今でも鮮明に覚えていた。
上巻は世界中の神話を渉猟し、公約数的に浮かび上がる太古の出来事について語る。それは最後の氷河期が終わる頃に地球を襲った大災厄であり、その後、神のような存在によって高度な文明がもたらされる、または歴史が再び始まる、というもの。洪水伝説は世界中に見られ、日本もまた例外ではない。ノアの箱舟がアララト山に漂着したように、日本神話ではオノゴロ島がその(再)出発点となった。
要するに、「なぜ地球上のあらゆる地域で、似たような神話が語り継がれているのか?」「それは地球上のあらゆる地域で、等しく洪水が起こったからだ」何という明瞭な説明。もう私としてはこれで十分だった。とても大きな視点を貰った。
下巻は著者がエジプト学者ということもあり、また崩壊前の世界を最も名跡に現在に伝えるものがピラミッドやスフィンクスであるということもあり、ひたすらピラミッド関連の話が続くが、あいにく細かいことに興味のない私には眠い。要点としては成功無比の数学的操作によって、それらのものが立地も比率も内部構造も計算し尽くされて建造されているということ。そしてそれは明らかにクフ、カフラー、メンカウラー王によるものではなく、つまりもっと遡って12000年前に達するということ。
本書は賛否両論巻き起こしたようなので、反対意見も非常に知りたい。本書を読む限りではほとんど完璧な説明がされているように思う。
著者が何度も繰り返していることだが、エジプト学者たちの頭の固さ(要するに人間一般の頭の固さ)が、私たちを真の理解から遠ざけている。人間って悲しいな、と読みながら思った。一旦こうだと決め付けてしまうとそこから自由になることが出来ない。自分の沽券にかかわる問題になってしまうのだ(つまらん!)。そして明らかな物証があるのに「あり得ない」、または不十分な証拠でしかないのに「議論の余地はない」。その判断基準は「自分がそれを理解したいか否か」だけ。人間はこればかり、どの分野でもやっている。
著者が投げかけた波紋は非常に大きく、人類に対して大きな貢献であると思う。しかしこの本が出版されたのが1996年だが、その後どのようにその辺りは進展しているのだろうか。非常に気になる所である。あと気になるのは、終末が予言された2012年12月に、私たちは(少なくとも自覚できている範囲では)無傷だった。太古の文明のほとんど全知の能力からすると、この予測が実現しなかったことは私には驚きである。
それはともかく、最近読んでいる臨死体験や前世療法などもそうなのだが、事実を事実のまま受け入れることさえ出来るようになったら人間は精神的にも霊的にもとても速く進化することができると思う。大きく視野を広げなくてはいけない。「こうしかない」「あり得ない」と安易に決め付けるのをやめて、「あんなこともある」「こんなこともある」という柔軟な心を手に入れたいものだ。そうしたらもっとたくさんのことを経験できるようになるだろうし、沢山のことが分かるようになるだろう。
この分野のことはもっと知りたいと思う。
とても刺激的な素晴らしい本なのだが、出来れば図が沢山欲しかった。特にピラミッド部分。寸法などは文章より図の方が良い。こう考えてみると、1996年当時は、今ほど図示をしない傾向にあったんだなと思った。