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500日連続投稿記念|多重債務はこれで激減 田丸雅智先生著「夢巻」読書感想文

はじめに

 こんにちは、吉村うにうにです。普段は長編小説やエッセイを書いております。この度、ようやく500日連続投稿記事を掲載いたします。すでに連続投稿は600日を超えており、100日ごとに掲載するつもりの記念記事が多重債務のように溜まっておりますが、もうすぐ払えそうです。

で、どんな記事?

 ちょっと前から書かなければと思っていた記事があります。それは、以前私が小説講座でお世話になった田丸雅智先生(以下先生)が執筆された著書の感想文です。

 実は、数か月前にとあるご縁で、先生のサイン本を頂く機会があり、下さった方にもお礼がてら感想文を書こうと思っておりました。どこから頂いたのかはちょっと言えませんが(身バレに繋がるため)、とにかく無料で頂いたので、せめて感想文だけでもと思った次第です。表紙は勿論、文庫版の先生の著書の表紙とサインページです。

「夢巻」とは

 「夢巻」を含む二十一編のショートショートが内包されていて、どれも現実離れした不思議なお話です。

先生の教え

 小説講座で、先生は「小説とはこうあるべき」という考えを嫌っている様でした。ということで、特にテクニック的な事を教わったことはありません。いつも優しく生徒を見守っているという感じでした。敢えて言うなら教わったことは次の二点です。

①自由に書いてよい、小説に好き嫌いはあっても良い悪いはない

②発想の源を得るためには人生経験を積んだ方がよい

で、夢巻を読んでみると

 本当に自由に発想を得ているなと言うのが印象でした。しかも元ネタが手帳の文字、リモコン、男性の髭などと身近なものからです。さらに、その発想から行きつくところまでストーリーを果てまで書き切るという徹底したスタイルを貫かれています。私も、先生に以前教わってから時折ショートショートのコンテストに参戦しておりますが、夢巻をもっと早く読んでいれば、学びに繋がったのに、と後悔しております。

小説に良い悪いはないとはいっても……

 ショートショートに審査基準は確実に存在します。これは先生が主催のコンテストでも例外ではありません。先生のおっしゃるように自由に書くのはいいのですが、やはり賞もちょっとは欲しいのです。というわけで「夢巻」を読んで自分の作品に足りないものが多少わかったような気がするので、そこを踏まえて作品集の中でもお気に入りの「大根侍」の感想を述べたいと思います。

大根侍とは(ここからネタバレあり)

 主人公が買った大根を持って、通りを歩いていたら、ある男の大根と自分の大根がぶつかったことで決闘をすることになった。なぜか主人公のいる世界は大根などの野菜が刀のように殺傷能力がある世界になっていた。主人公は修行をして、男を倒し、全国修行の旅に出るという。

突っ込ませない迫力と定番に不安定さを混入する面白さ

 いつの間には野菜が凶器に、ここでは他の著者が「それは無理だ」と諦めてしまう所を先生ならでは自由さで乗り切り、読者を早くてコミカルな展開で、この変な世界を力ずくで納得させてしまっています。この物語は野菜が無ければ、これはただの決闘物の時代劇でしょう。洋画で言うと「ベスト・キッド」といったところでしょうか。しかし、そこに野菜をぶっこむことで定番になりがちな話を一気に安定感の無い物語にして、読者に現実では……などと考える暇を与えず怒涛の攻めをしているように思います。

私が書く時には

 私がショートショートを書く時には、まず退路を確保しています。今回の読書でそれが欠点にもなりうると思い知らされました。私の造る世界は、主題以外ではファンタジーでもSFでもなるべくリアリティを保とうと、科学的社会的整合性をチェックしています。たとえば、主人公が超能力をもっていたとしても、それ以外――住所、仕事、人間関係などはなるべくリアリティを感じる書き方で、人物の背景を作ります。そうしないと物語の崩壊を招きかねないという気がするのです。リアリティは読者を白けさせることなく物語へ繋ぎ止める役割を果たしていると思っていました。

ところが先生は

 まるで違う手法を取ります。

男は突然大根を振り下ろしてきた。

田丸雅智 「大根侍」より

 有無を言わせません。世界の設定も何のその。主人公が歩いた通りの様子や、なぜ大根を買ったかなどは飛ばして、いきなり緊迫した世界を作り上げています。周囲に観衆はいたのか、どうして主人公は通報しなかったのか、銃刀法では大根はどのような扱いか、などといった設定を私なら考えるところです。ところが先生は一つのシーンを切り取り、どこかのファンタジーワールドを用意して、そこに読者と登場人物丸ごとそこに放り込んでいる、そんな気がします。

「あれ? こんな世界の作りでいいの?」と考えさせる暇もなく、次々と物語が展開し、読んでいる私も、「こういう世界なんだ」と納得して、次の展開を見つめているうちに、小主人公が師匠と出会って修行が始まるシーンになり、つい「主人公がだんだん強くなっているな」と応援するような気持ちで読み進めていました。

私はわかっていなかった

 先生は講座で『物語は自由だ』とおっしゃっていましたが、この本を読むと、その言わんとすることを、私は本当には理解していなかったように思います。授業中、私が浮かんだアイデアを次々と自分でボツにしていた時、通りかかった先生が

「これでいいじゃないですか。面白いですよ」

 とアドバイスをくれました。私は、それを先生一流の「励まし」と受け取ったものの、自分のアイデアの大半はとても物語にはできないと思っていました。既存の言葉同士を繋いで新しい言葉を作る先生の方式に従ってやってみたものの、これは発展させられない、これは面白くないと片端からボツにしていたのです。

 しかし、先生は、およそ話を広げるのが難しいもので物語を作っていました。眼鏡や肥満体のお腹、エレベーターなどと、私なら絶対に諦めてしまいそうな題材を使っています。やはり、アイデアはとことん突き詰めていかなければならないということを学びました。これは自分の作品作りに限界を設けなければ、何かしら突破口はある、これを自分への戒めとしたいと思います。

思い出してみると

 私が昔野球をしていた頃、先輩のカーブに難渋したことがありました。打席に立つと、先輩のカーブがどろんと落ちてきて、打つのはそれほど難しくなかったのですが、困ったのは曲がらないカーブでした。投げ損なったカーブが、曲がらずに途中から遅いストレートのようにボールが飛んでくる。これには困りました。そう思って、先輩に「曲がらないカーブを意図的に投げ分けられると武器になりますよ」と助言を贈りましたが、聞き入れてもらえませんでした。結果、先輩は大成することなく引退しました。

 その時の先輩といい、今の自分といい、人からのアドバイスは一度だけでも素直に聞き入れ、チャレンジしてみる精神が何か現状を変えるのだということを思い出しました。

さいごに

 やはり、執筆の勉強は自分が書く以外にいい作品を読んで学び取ることが必要と実感できたいい機会でした。しかも、昔の先生がおっしゃったことを断片的に思い出しながら、基本に立ち返る事ができました。さらに執筆への意欲にもつながりそうです。

 ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

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