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ひとりぼっちを経験しても

さとしです😃

今日もnoteクリエイトを
積み上げます。

1.痛みが分からない

子供の頃は
比較的活発なタイプで

クラスの中心メンバーに
よく遊びに誘われたり
仲良くしていた。

この頃
人生において
辛いことを我慢をしてきた
経験がなかった。

もちろん
多少努力はする。

テスト前に
人並みの勉強はしたし
学校の行事にだって
普通に取り組んだ。

だけどその程度

当たり前の我慢ばかりで

それ以上
我慢しなかった。

気に入らないことがあれば
声を荒げたし
喧嘩したこともある。

それで
なんとか
なってしまっていた。

周りは
僕に気を使っていたのかもしれない

でも
当時の僕には

そんなこと
知るよしもなかった。

2.初めての痛み

恵まれすぎた僕が
人の痛みを知ったのは
高校生になってからだ。

今の
芦田愛菜さんくらいの年齢。

彼女を引き合いに出すと
自分が子供だったのか
彼女が大人すぎるのか
分からなくなるけれど。。

高校は
自分と同じくらいの
レベルが集まるから

人生で初めて
自分が影響力を
持てない場所に立った。

そのとき
どういう立ち回りをしていいか
僕は純粋に知らなかった。

好き勝手していた
これまでと同じように
たちふるまった。

でも

新しい環境では
全く通用しなかった。

いつもウケていた
ブラックジョークは
かなりスベったし

協調性のかけらもない
僕の言動は
とても印象の良いものでは
なかっただろう。

僕はかなり
浮いた存在になった。

今までいかに
自分が周りに気を使われていたか
よく分かった。

きっと
僕が怖かったのだろう
それか面倒くさかったのか

全てではなかっただろうが
随分と気を使われていて

本音で話していた人は
少なかったのだと思う。

でも

当時の僕には
そんなことも分からなかった。

3.ひとりぼっちを経験しても

当時は
とにかく苦しかったし
浮いている自分が
恥ずかしいと思っていた。

これまで
自分中心に回っていた世界の
中心から外されたとき

心から
見下していた存在に
自分がなってしまったのだと
恥ずかしいと思っていた。

でも今は

そんな考えを
高校生にもなって
持っていた自分が恥ずかしい。

たかだか
自分の周辺しか知らずに

上か下かでしか
物事を見ることができない
視野の狭さ。

何より
人の痛みを知らなかった
愚かさを

とても恥じている。

人の痛みを知らなければ
無神経で何が悪いのか
わからない。

ひとりぼっちを経験することは

人の痛みを知るために
必要な経験だった。

もちろん
苦しい状態やつらい状態を
乗り越えるだけで
ギリギリの日々だと思う。

それでも

当時の自分に
声をかけるとしたら

「大丈夫だ
 自分が思っているほど悪い状況ではない
 ようやく世界を知ったんだよ。」

こんなふうに
声をかけると思う。

当時の僕は
本当によく頑張った。

行きたくない学校に
無理やり通いながら
部活動で結果を出さなければならない
プレッシャーと戦っていた。

クラスメイトからの
攻撃が怖くて
声を出そうとしても
喉がすぼんで出なかった。

当時の僕が
将来元気に働いて
生きていられていることを知ったら
きっと泣いてしまうだろう。

だから
もし今ひとりぼっちで
悩みを抱えているとしても

あまり
悩みすぎなくていいと思う。

その経験は
人として大切なことを学ぶために
必要な痛みなんだ。

その経験は
君の武器となって

未来のかてになるんだ。






おわり

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