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みんなドリフターズ
2024年10月13日 日曜 快晴
ザ・ドリフターズ。
日本に暮らしていて知らない人は居ないはずだ。
「ドリフ」の略称で愛されてきた国民的コメディグループ。
志村けん、加藤茶、いかりや長介、髙木ブー、仲本工事(敬称略)の5人がかつての土曜のお茶の間を笑いに包んでいた。
ドリフターズについては来歴が紆余曲折あるのだが(荒井注さんがいたとか色々ある)、ほとんどの人はその5人で認知されてると思う。
ドリフターズというのはdriftersと表記されるように、ドリフト(drift)する者たちという意味だ。
drift=漂う、漂流する
すなわちドリフターズとは漂流者だ。
これに気がついた時、ものすごく腑に落ちた。
いかりや長介さんはミュージシャンになるつもりで上京した。そもそもドリフターズはバンドである事からも想像に難くない。
そこからグループコントで一世を風靡し、果てはとても味のある役者としても地位を築いた。
加藤さんの「カトちゃんぺ!」でお馴染みの髭を指2本で押さえるポーズは、もともとツケ髭の粘着力が弱くて取れかけてしまい指で押さえたのが始まりだ。
志村さんはビートルズに憧れつつも、幼い頃から人を笑わせる事を夢に見ていた。
それは小学生低学年の時に学校で便を漏らしてしまい、そのイメージを払拭しようとしてとにかく面白い事をやる事で過去を消そうとしたと語っている。
それぞれがその時々でそれぞれの葛藤の果てにいつの間にか集まったのがドリフターズというグループなのだろう。
知ってる人は知ってると思うが、ビートルズ初来日の公演の際、彼らの前座を務めたのがドリフターズだ。
そこから察すると音楽の実力もあったはずだ。
だがご存知のように、昭和の時代にテレビ界で彼らはコメディグループとして一世を風靡する。
そこにミュージシャンの雰囲気は全く漂わせることはなかった。
8時だよ全員集合というモンスターコンテンツが終わった後も、カトちゃんケンちゃん、志村どうぶつ園、踊る大捜査線などなど…
彼らは時代の流れに浮遊するように漂い、その時々にたどり着いた場所で彼等なりの花を咲かせていく。
この現世ですら、彼等の漂流のうちの「ふと立ち寄った場所」なのかも知れないと感じさせる。
思春期やそれ以降も自分の行くべき道がわからないとか、自分が何者なのか、誰に必要とされるのか…と言う事で悩む人はとても多いと思う。
進学や転職、結婚、老後と人生において岐路を選ばなければならないのだと焦ることは少なくない。
結果を出した人を見て羨み、自分には無理だとか、あの人は幸運だとか色々思うこともあるだろう。
ただ、きっと彼等にしてみても「気がついたらそこに流れ着いた」のだと思う。
最初からそこに行こうとして辿り着く人間は滅多に居ない。
悩んで、諦めたり、手を抜いたり、苦しんだりしながら辿り着いた場所。
辿り着いた見知らぬ土地で、今やれる事をとりあえずやってみたら少し芽が生えてきた。
成功した後に、後付けで理由づけする人は多いだろうが実際そのさなかにいる時はそんな事を考えてないはずだ。
ただ漂って、悩んで、なんとなくやれそうなことに向き合って。そのうち「あれ、なんかやれそうだな」って思って。
だから私は思う。目標がなくても全然いいじゃないかと。
澱みの淵に留まる事さえしなければ、誰もが何処かに辿り着くはずだ。
もしそこに「努力」を加えるなら、さらに面白い漂流を味わえるはずだ。
気負う必要はない。悩む必要もない。幾ら悩んでも人は必ず死ぬ。
死んだ後は次回のチャレンジになるだけだ。
誰しもがドリフターズなんだよな。