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鎮魂
2024年12月22日(日曜)
薄曇りの空に、時々雨粒が道路を濡らさない程度に降る朝。
毎週土曜をボランティアに充てている兼ね合いで、日曜は買い出しや雑務をすることにしている。
今朝もドンキホーテの開店時間であるAM9:00に合わせるように準備をして車に乗り込んだ。
エンジンをかけて、さあ行こうかと思った瞬間。
スマホに親父から着信が入った。
LINEすらほとんど来ない私のスマホに、いきなり着信があると本当にドキッとする。
電話に出ると、親父から「◯◯が亡くなったけんな」と叔母の他界を伝える内容だった。
叔母の生き方
叔母はうちの父親の妹にあたり、年齢は確か74〜5歳だったと思う。
私の従姉妹にあたる、私より一つ年下の娘が一人いる。
父方の家系は昔から破天荒な人が多く、私の曽祖父の弟なんかは「アメリカに行くわ」とでて行ったきり行方不明だ。
無論、私の父も叔父もめちゃくちゃだったし、件の叔母もそうだった。
今でこそ好々爺になったが、うちの父も若い頃は逮捕されたり拘留されたり大変だったらしい。
私が幼い頃も、私の目の前で交通トラブルになった相手を殴りつけていた光景をよく覚えている。
さて、件の叔母だが若い頃から散財と酒がすごかった。
一度なんかは私が若い頃に女性相手のバーにたまたま女友達に連れられて行った事があった。
店内に入るとすぐ叔母が視界に入った。
こちらとしては、まさかこんな怪しいとこで叔母に会うなんて夢にも思っておらず、ずいぶん驚いたのだ。
しかし叔母はケロッとしたもんで、
「あんたこんなとこで何しよるん(笑)」
なんて笑っていた。
それは圧倒的にこちらの台詞だと思うのだが(笑)
どうもかなりの常連らしく、私を連れて行ってくれた女友達も当然叔母の事は知っていたようだ。
「まさか親戚だとは思わんかったよ」
だと。そりゃそうだよな。
そんなこんなで夜毎、飲み屋街に繰り出したり買い物したりで散財もしていたし、どうやら家もずいぶんゴミ屋敷のようになっていたらしい。
叔母の旦那さんは、酒好きだが、大人しい真面目な人で叔母の尻に敷かれてしまっていたのは私の目からもわかっていたのだが…
嫌気がさしたのだろう、ある日から宗教にハマり、同じ信者の若い女と一緒になるために叔母と離婚して出て行った。
まぁ夫婦の間のことは結局本人たち同士でなければ計り知ることはできない。
円満離婚なのか、そうでは無いのかはわからないのだが、側から見ていると「そりゃそうなるかもな」と思えた。
それから
そこからは、やはり叔母なりにショックだったのだろう。
酒量が嵩んでいき、メンタルもそれに沿うように悪くなっていった。
そのうち、働けるような状態ではなくなり保護を受ける日々が何年も続いたのだが数年前から認知症と思われる所見が見られるようになった。
当時はまだ60代後半だったから、まだまだ若いのだが、それは日に日に悪化した。
結局、施設に入ることになり、今年に至っては家族も他人も全く認識できない状態であったそうだ。
その叔母が昨夜施設で息を引き取ったというのが親父からの電話の内容だった。
一人娘の意向なのかどうかはわからないが、密葬とのことでうちの親父とお袋、それから親父の姉、その辺だけで密葬にするということだった。
叔母との思い出はそんなに多くない。もともと子煩悩な感じではないから、盆暮れに親戚で集まってもあまり話す機会もなかった。
実際ここ20年くらいは会うこともなかった。
ただ、亡くなったと聞くとやはり昔の叔母を思い出す。
よく言えば天真爛漫で、物怖じしないかっこよさがあった。
だが、きっとどこかで逃げ出したい気持ちがあって、お酒に逃げてしまったのかなと今は思う。
祖父母の眠る、高台の海が見える墓に叔母も眠ることになるだろう。
既に鬼籍に入っている祖父母や叔父と会えるだろう。
叔母にとってはこれが一番幸せなのだろうなと思った。