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400年前の謎を紐解く③
4月18日(木)。朝は霞んで朧げな太陽しか見えなかった空も、昼にはしっかり晴れた木曜日。
何処もかしこも見渡せば黄砂で、まるで雨後のように近くの山も薄水色に霞んで見える。
昨夕、四国から広島に戻り、出張疲れでウトウトしていた夜更け。スマホから強烈なアラート音がなった。
「強い揺れに備えてください」
これ以上短くできない程に端的な警告文。
数秒後には揺れ始め、次第に揺れは強くなった。
実際にはそんなに長くは無いのだろうが、揺れの最中に居るとえらく長く感じた。
広島市は震度4。すぐネットで確認すると震源は豊後水道。
伊予灘には断層があり、こいつがちょこちょこ悪さをするのだが今回は宇和島方面で震度6となり「悪さ」にしては度が過ぎていた。
マグニチュードは6.6だったかな?うろ覚えだが大体その辺り。
南海トラフ地震の予想マグニチュードは8.0〜9.0付近と言われてる。マグニチュードは1違うとエネルギーは32倍になる。
今回の地震の約1,000倍近いエネルギーが襲うと考えると溜まったものではないのだが、その日は確実に来る。
記録がある限り遡ると南海トラフ地震のスパンは100〜150年だが100年未満で発生した記録は無い。
前回が1944〜46年だから、あと20年は大丈夫だろうが20年後から数年は発生特濃だ。
伊方原発などの対策を含め、十分に準備していただきたいところだ。
話がすっかりそれてしまったが、本題に入ろう。
似島と湯来町の話
↓前回まではコチラ
似島に人が居住したのが1600年代であり、最初の島民は佐伯区湯来町白砂(旧白砂村)から来た数家族との話。
佐伯区役所湯来出張所まで郷土史を調べに行ったところまでで前回は終わった。
前回、湯来町役場の方から
「南区役所にて似島の活性等に取り組んでいる担当がおり、彼は湯来町出身だから会ってみては?話は伝えておきます。」
との有り難いお話を頂いていたのだが、本日その方とお会いする事が出来た。
どうやら何十年も前に、今の私と同じ事を調べていた方がおられ(故人)資料はあるとの事。
「私も同じように色々探しては見てますが、なかなか…」
という事でひとまずご用意してくださっていた資料を見せて頂いた。
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かなり詳細に調べられていたが、やはり最初の住人の特定までは至らなかったようだ。
ただし、恐らくひと家族は間違いないだろうという家は判明していた。
ここで「これ以上はわからないかも知れない」と感じたのは、その方の名前が似島にゆかりのある名前だったからだ。
白砂村特有の名前ではなく、似島に来てから命名された名前である事から「改名もしくは、元々苗字は無かった」事になる。
南区役所のご担当様とも色々話したが、お互いの意見として白砂村から逃げてきたのではないか?という事が一致した。
白砂村は農業と林業が主産業だった。その者たちが、島で暮らすのは容易では無い。ノウハウを使えない漁業しか出来ないからだ。
なぜにそんな場所に行ったのかを考えると「他に行く場所がなかった」と私もご担当様も考えたのだ。
仮にそうだとすると、名前など当然変えてしまうだろう。
勿論あくまで推測にしか過ぎないのだが、移住の理由を特定するのはまだまだ時間がかかりそうだ。
また白砂村の十文字という地区から来たという事はわかったので、こちらはまた湯来町に行って現地(私の祖母宅付近だった)でヒアリングしてみたい。
今回、ご担当の方とお話しするにあたって
「そもそも何故調べているのか?」
というお話になった。そりゃそうだ、そんな事調べる奇特な奴はそうそういない。現に私の前に調べていた人は何十年も前に1人だけだ。
私はというと、そもそもは似島学園の子達が働くための働き場所と似島の活性化を目的としている事をお伝えした。
まだ詳細は書けないのだが、法人を作り似島でやるべきプランについてはすでに計画中だ。
それについて役所のご担当の方に相談すると、それならば似島にある財務省管轄の国有地(整地済)を借りられるかも知れないとの助言を頂いた。
社会福祉、活性化等の社会的に有用な利用であれば、自治体もサポート出来るとの事だ。
国有地はかなり広大なようで、これについては今週末に現地で確認しようと思う。
私の計画してる事は少し大きな話であり、これらを地域活性と卒園者達が正当に所得を得るまでに利益を生む形にするにはやはりヒストリーをきちんと追う事は絶対に必要だと感じている。
ヒストリーと理念のないビジネスは一過性の話題で終わると思っているからこそ、こうして似島と湯来町を行き来しているのだ。
そんな訳で、南区役所のご担当氏とのお話は大きな一歩を与えてくれた様に思う。感謝しかない。
続報は今週末に似島に実際行った結果をまたここでお伝えしようと思う。