ただ幸せになりたいだけ。
4月25日 木曜日。
昨日までの「消灯した途端に聞こえてくる蚊の羽音」みたいな鬱陶しい天気とは打って変わって、本日は快晴となった。
仕事とは言え、これだけ気持ちよく晴れてくれたら気持ちも弾む。
自然と運転中も歌ってしまう。口ずさむのはもちろん90年代の古い歌だが致し方ない。
最近の歌でわかるのは猫ミームしかないのだから。
さて本題。
日本理化学工業という「チョーク」を作る会社がある。
「日本でいちばん大切にしたい会社」あさ出版
1937年設立のこの会社は50年前に、ある擁護学校の教諭から「なんとかお願いします!」と懇願されて知的障害を持つ2人の少女を雇用した。
もちろんトラブルだらけで、他の社員達の不満も何度も爆発したし、社長自身「雇用し続けるのは無理かもしれない」と考えた事があった。
しかし彼女達はどんなに嫌がられても叱責されても、誰よりも早く出勤して休憩もほとんど取らず愚痴も言わずに働き続ける。
社長にはそれが理解できなかった。
辛いはずなのに、何故続けるのか。
そこで既知の住職さんに相談した事があった。するとご住職からはこんな言葉が。
「人には四つの幸せがある。
①愛される事②褒められる事③人の役に立つ事④人に必要とされる事です」
そう、彼女達は養護施設では得られなかった「褒められ、誰かの役にたち、必要とされる幸せ」を働く事で感じていたからなのだ。
そこから社長は彼女達や他の知的障害のある人達がどうしたら他の社員と同じように働く事ができるかを考え、試行錯誤を続けた。
会社に彼女達を合わせようとするのではなく、彼女達に会社を合わせていった。
そして今、日本理化学工業は社員の7割が障害を抱える人達でキチンと運営されている。
50年前に入った最初の彼女も、50年無遅刻無欠勤で定年を迎えて今は嘱託としてなお働き続けている。
この話を読んで、私は心が震えた。
お涙頂戴にやられた訳ではない。
今自分が取り組もうとして活動している事も、同じ様な事なのだが「何故そうしたいのか?」という自分の心の根っこの部分がイマイチ言語化できていなかった。
言い換えれば「そうしたいから」と形容するしかない感じ。
しかし、今日分かった。
私は幸せになりたいんだと。
誰かの役に立って、自分という存在を必要として欲しかったんだと理解できた。
助けたいとか、可哀想とかそんな神様みたいな気持ちではない。
幸せになりたい、救われたい、必要とされたい。
そんな根源的な欲求なんだと分かった。
会社を立ち上げて、利益を出して、節税に励んで地域に貢献すればきっと周りには讃えられるだろう。
昔は無理して外車に乗ったりブランド品を身につけたり、見栄えの良い人を連れて歩いたりしたこともあった。
他人が羨ましそうに見る視線を感じて、悦に入った事もあった。
満たされる気持ちも当然あったが、その満たされた気持ちとは結局、虚栄心だった。
幸せだとは1ミリも思えていなかった。いつもイライラして、人と自分を比べて、勝てば笑い負ければまたイライラ。
そうしてるうちに大事な人を失い、大切な物を見失い、いつまでも経っても幸福な気持ちになれないことを実感した。
そうして人生の底に落ちたとき、最後に望んだのは「必要とされたい」という事だけだった。
人それぞれなのかも知れないが、自分が生きてきて心底苦しかった事。
⚪︎人に必要とされない事。
⚪︎大切な人を救えなかった事
この2つだった。金がないとか、仕事がきついとか、そんなことはどうでも良かった。
私は誰かに必要とされたいし、これから出会う多くの人たちにもそうあって欲しいと思う。
互いに必要とし、幸せを感じられるのなら、これ以上の幸福はないと思っている。
そりゃ金は無いよりあった方がいい。自分にとっても、誰かにとってもそうだろう。
ただそれはあくまで副産物として生まれたらいいだけの話。勿論、可能な限りビジネスとして成功させるつもりではあるが、本質では無い。
自分にとっての今の活動とは「幸せであるため」だと理解できた。
愛され、褒められ、役に立ち、必要とされる。
私が起業するとき、会社の理念はそれで決まりだ。