歩くのが好きな理由。

 散歩が好きで毎朝20分くらい歩いている私。通勤時も一駅前で降りて歩くこともよくありますし、旅先では1時間ぐらいの距離を歩くことは当たり前です。そんな私が歩くことが好きな理由を考察していきます。

サッカー経験者、されど運動嫌い。

 幼稚園からサッカーをしていて、プロクラブで働き、現在もサッカーに関わっている私ですが、基本的に運動は苦手で好きではありません。そして特に嫌いなのが、走ることと筋トレです。
 この2つが嫌な理由にはサッカーが大きく関わっています。

沢山”やらされた”走りと筋トレ。

 幼稚園から大学までサッカーをプレーしてきた私ですが、特にトレーニングムが厳しかったのが高校時代です。河川敷のランニングや、ピッチをひたすら往復するシャトルランに雨の日の階段上り、筋トレルームでのトレーニングなど、フットボールのトレーニングよりもフィジカルと根性のトレーニングが非常に多かったです。そして、身体能力の低かった私はそのトレーニングが嫌で嫌で仕方がなく、よくサボっていました。
 そして、今でのその後遺症が残っており、走るや筋トレと聞いただけで嫌な思い出、身体がヘトヘトになる記憶が鮮明に蘇ってきます。

走ることへの嫌悪感、歩くことへの優越感。

 走ることへの嫌悪感が20年近く経った今でも消えない中、逆に得たものがあります。それはのんびり歩くことへ満足感です。走らされている時、歩くことは厳禁で、長距離ランニングや階段上りなんかでは、先生や厳しいチームメイトの盗んでいかに歩いてサボるかを考えたものです。そして、上手くサボれれば体力が回復するだけでなく、ある種の達成感と満足感、さらに他のみんなが走っている中で一人、もしくは一緒にサボっている数人だけがのんびりしている優越感を得たものでした。

過酷なトレーニングで失ったもの。得たもの。

 走ることへの嫌悪感と引き換えに得た歩くことへの優越感は、今も続いています。世の中が慌ただしく動いてる中、一人のんびりと街の雰囲気を楽しみながら歩くのは私の人生の大きな幸せのひとつです。
 ”スポーツを通じて運動習慣を身に付ける”というキーワードがスポーツの側からよく発せられます。しかし、私の経験上、過度なスポーツはその後のスポーツ習慣に悪影響を及ぼすと思います。私の場合は、”サボる”という本来は褒められるべきではない行動の結果、歩くという運動習慣を身に付けましたが、これはレアな事例であり、そのまま運動嫌いになってしまう人もいることでしょう。

得たもので幸せに暮らす。

 という訳で、今もよくのんびり歩いて有意義な時間を過ごしている私。もし、適度なトレーニングを行なっていれば今もサッカーをプレーしていたかも知れませんし、他のスポーツやランニングなんかを楽しんでいたのかも知れません。失ったものの価値は目に見えず、時に大きくも感じまれますが、得たものの幸せは今、この瞬間も私の中にあり続けています。
 今、手の中にあるもので幸せを感じながら、毎日を過ごしていければと思います。

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